日本歴史地名大系 「能城村」の解説 能城村のきむら 和歌山県:東牟婁郡熊野川町能城村[現在地名]熊野川町能城山本(のきやまもと)熊野川とその支流小口(こぐち)川(現赤木川)の合流地南に位置。東は和気(わけ)村(現三重県南牟婁郡紀和町)の枝郷田長(たなご)村。享徳三年(一四五四)正月二五日付借銭状(潮崎稜威主文書)に能城中野弾正の名がみえる。慶長検地高目録には「野寄村」とあり、村高三一七石余、小物成四石。三之村組に属し、和歌山藩新宮領。慶長(一五九六―一六一五)頃の家数は四八(新宮藩御勘定方旧記「和歌山県史」所収)、明和―寛政(一七六四―一八〇一)頃は六五(新宮領分見聞記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by