能美山城跡
のみやまじようあと
[現在地名]六日市町七日市
西に高尻川、南に吉賀川、北および東は深山が続く要害の地にある。鎌倉時代津和野に入部した吉見頼行の弟横田頼挙が正中年間(一三二四―二六)に城主となり、以降一一代頼綱まで二七〇余年間居城したといわれる。天文の役の時、天文二三年(一五五四)二月陶晴賢の部将江良弾正房栄・端土太郎の軍三〇〇余騎が、沢田の指月城、立戸の五郎丸城、朝倉の羽生城を落した勢いで当城を攻めた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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