日本歴史地名大系 「七日市村」の解説
七日市村
なのかいちむら
北流する
七日市村
なのかいちむら
元和二年(一六一六)高田藩領となり、以後在番支配・高田藩領・佐倉藩領・淀藩領・幕府領を経て、文政元年(一八一八)から出羽国上山藩領となり幕末に至る。
七日市村
なぬかいちむら
七日市村
なのかいちむら
- 群馬県:富岡市
- 七日市村
南境を
近世はおおむね七日市藩領。寛永一七年(一六四〇)の検地帳(富岡市役所蔵)によると田一二町九反五畝余(うち上田一一町八反余)・畑三四町四反二畝余(うち上畑一七町四反余)、屋敷は給人屋敷二六筆三町六畝余・町屋敷七九筆三町八反四畝で、町屋敷には御蔵屋敷・牢屋敷・籠屋敷があって町屋内に士族や藩関係の屋敷が入交じっていたと思われる。
七日市村
なのかいちむら
七日市村
なぬかいちむら
七日市村
なぬかいちむら
慶長検地郷村帳に高三八〇・二四石「七日市村」とみえるが、この高は東接する枝郷
七日市村
なのかいちむら
七日市村
なのかいちむら
七日市村
なぬかいちむら
香住村の西に位置し、北は香住湾に面する。村域は
七日市村
なぬかいちむら
七日市村
なぬかいちむら
- 石川県:加賀市
- 七日市村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報