脇野町代官所跡(読み)わきのまちだいかんしよあと

日本歴史地名大系 「脇野町代官所跡」の解説

脇野町代官所跡
わきのまちだいかんしよあと

[現在地名]三島町脇野町

脇野町の西方三島みしま丘陵の麓にある。現在浄福じようふく寺と河内正氏宅の敷地の一部になっており、かつて真宗大谷派の僧侶研修のための南学なんがく場が設置されていた所に当たるという。元禄一四年(一七〇一)高田藩稲葉氏が下総国佐倉藩主として移り、さらに享保八年(一七二三)山城国淀藩主となり、そのまま蒲原かんばら郡・三島郡内の領地を支配。元文元年(一七三六)に脇野町陣屋が設置された。稲葉氏は延享元年(一七四四)蒲原郡内に七千石余を加増され、越後支領二万九千石余の陣屋として機能した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む