日本歴史地名大系 「脇野町代官所跡」の解説 脇野町代官所跡わきのまちだいかんしよあと 新潟県:三島郡三島町脇野町村脇野町代官所跡[現在地名]三島町脇野町脇野町の西方、三島(みしま)丘陵の麓にある。現在浄福(じようふく)寺と河内正氏宅の敷地の一部になっており、かつて真宗大谷派の僧侶研修のための南学(なんがく)場が設置されていた所に当たるという。元禄一四年(一七〇一)高田藩稲葉氏が下総国佐倉藩主として移り、さらに享保八年(一七二三)山城国淀藩主となり、そのまま蒲原(かんばら)郡・三島郡内の領地を支配。元文元年(一七三六)に脇野町陣屋が設置された。稲葉氏は延享元年(一七四四)に蒲原郡内に七千石余を加増され、越後支領二万九千石余の陣屋として機能した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報