自見名
じみみよう
現東浜・一ッ松・宮夫・下池永・上池永・合馬辺りに散在したと推定される中世名。史料上では当名は大神宮守所領野仲郷今永名内に成立した自見名と大家・野仲両郷内に成立した自見名(田部氏相伝、一部宮成氏領)の二様がみえる。さらにのちには宇佐宮御炊殿灯油料所の本自見名と今自見名とに分割され、時代によってまた領有も異なるなど複雑で、名の実態を把握できない点も多い。文明一六年(一四八四)二月二五日の万徳坊領田畠坪付惣帳(到津文書)によると、下毛郡大家郷・野仲郷内の今自見名は田地一一町五反余、うち八町は本自見として別知行、畠地四町八反と塩屋二面からなっていて、合馬を中心として散在し、本自見名は宮夫・下池永の低湿地を中心として散在した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 