臼窪村(読み)うすくぼむら

日本歴史地名大系 「臼窪村」の解説

臼窪村
うすくぼむら

[現在地名]都賀町臼久保うすくぼ

村の北、赤津あかづ川右岸に立地する。北は大橋おおはし村。慶長一四年(一六〇九)までは皆川広照領(延享元年「皆川歴代記」皆川又太郎文書)。慶安郷帳には飼窪村とみえ、田一七〇石余・畑一一九石余で武蔵岩槻藩領。寛文二年(一六六二)検地帳(川津福寿文書)では田一〇町三反余・畑一八町二反余・屋敷二町一反余。元禄郷帳では旗本山木・荒尾の相給。改革組合村では旗本大屋・山木・藪の三給で家数二〇。慶応四年(一八六八)の取調帳(大久保和文書)によれば、高三〇六石余のうち諸取引三一石余で、例幣使街道金崎かなさき宿(現上都賀郡西方村)の定助郷勤高二三二石余、安塚やすづか(現壬生町)勤分四一石とあり、家数二一・人数一一四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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