興法寺廉居和尚浮屠(読み)こうほうじれんきょおしょうふと(その他表記)Hǔngbǒp-sa yǒmgǒ hwasang pudo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「興法寺廉居和尚浮屠」の意味・わかりやすい解説

興法寺廉居和尚浮屠
こうほうじれんきょおしょうふと
Hǔngbǒp-sa yǒmgǒ hwasang pudo

朝鮮,新羅文聖王6 (844) 年頃建立の最古の新羅浮屠 (仏塔,仏寺) 。 1914年頃にはソウルのパゴダ公園にあったもので,江原道原城郡の興法寺址から搬出されたとも伝えられ,現在は景福宮内に移建されている。新羅時代の石造浮屠はおもに花崗岩で造られた高僧の墓塔であり,八角円堂形式の木造建築架構をとどめたものが多く,廉居和尚浮屠も各部材が平面八角で,3段の基壇上に八角柱状の塔身を載せ,新羅石造浮屠の典型を示している。また内部から発見された塔誌から,廉居和尚の入寂は唐の会昌4 (844) 年と判明し,浮屠の建造年代もほぼ同じ頃と推定されている。

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