ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルイ2世」の意味・わかりやすい解説
ルイ2世
ルイにせい
Louis II
[没]875.8.12. ブレシア近郊
西ローマ皇帝(在位 850~875)。ルートウィヒとも呼ばれる。イタリアの支配者として,イタリア半島へのアラブ人の侵入阻止に貢献した。西ローマ皇帝ロタール1世の長男。844年,カルル1世が築いた帝国の一部である中部フランク王国(→フランク王国)を治めていた父王に代わってイタリアの統治者となり,同 844年6月15日にローマでロンバルディア王として,850年4月には皇帝として戴冠した。855年9月,父王が王国を分割し,所領としてイタリアを割り当てられた。その数週間後に父王は死亡し,単独の皇帝となった。しかし当時はカロリング王家(→カロリング朝)全体の宗主権をもつわけではなく,領土の一部の統治権を与えられたにすぎない。859年,弟のロタリンギア王ロタール2世の領土を獲得,863年にもう一人の弟プロバンス王シャルルが死ぬと王国の大部分を手に入れた。その頃イタリア南部の各地を征服していたアラブ人との戦いが重要な課題となり,866年大規模な軍事行動を展開,871年2月にはビザンチン帝国艦隊の支援を受けてバリのアラブ人拠点を制圧した。しかし同 871年8月,イタリア南部の支配権を主張し始めることを警戒したベネベント公アデルキスに捕えられ,南部には二度と足を踏み入れないと誓約した。まもなく解放されると,教皇から誓約履行免除の特免状をとりつけて南部へと引き返した。872年,カプア近郊の戦いで勝利したものの,アラブ人に決定的な打撃を与える力をすでに失い,失意のうちに北イタリアへ帰り,ほどなく死亡した。子供はただ一人,娘だったため,カロリング朝の長男の系統の家系はこの代でとだえた。
ルイ2世(吃盲王)
ルイにせい[きつもうおう]
Louis II, le Bègue
[没]879.4.10. コンピエーニュ
西フランク王 (在位 877~879) 。カルル2世 (禿頭王)の子。父のあとをうけて即位。貴族たちの不穏な動きを,彼らの領地を認めることで切抜けた。ルイ3世,カルロマン,シャルル3世 (単純王) の3子を残した。
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