惟高とも書き,小野宮ともいう。文徳天皇の第1皇子。母は紀名虎(きのなとら)の娘,静子。857年(天安1)元服,四品となる。上野太守,弾正尹など歴任したが,872年(貞観14)病のため比叡山麓の小野の地に隠棲した。法名素覚。若年で隠棲した原因として,異母弟の惟仁(これひと)親王(後の清和天皇,母は藤原良房の娘明子)との立太子争いに敗北したためとする説が古来からあり,《江談抄》《平家物語》などでは,紀氏は惟喬を立てて真済僧正を,藤原氏は惟仁を擁して真雅僧正をそれぞれ祈禱僧に起用,死力を尽くしたと伝える。しかし史実では,惟喬親王の出家以前,850年(嘉祥3)に惟仁は皇太子に立っているので,立太子の争いの敗北を隠棲に直結させるのは無理であり,当時の藤原氏の圧倒的な勢力を考えれば,そのような抗争はありえない。しかしまた,《大鏡》裏書には文徳天皇が晩年惟喬を愛して皇太子にと希望していたが,周囲の反対をはばかって断念したと伝えており,この種の伝承の発生する根はあったかもしれない。惟喬は隠棲後は風流を楽しんだらしく,僧正遍照に贈った歌が《古今集》に見えるが,とくに在原業平とは,業平の妻が紀有常の娘で親王のいとこであったから,年齢は業平が19歳年長だったが,親密な主従関係を結んでいた。《伊勢物語》82段(渚の院),同83段(雪の小野詣)は有名である。親王の歌は《古今集》2首,《後撰集》1首,《新古今集》1首ほか計勅撰入集6首,すべて隠棲後の寂寥,哀愁をうたっている。〈白雲のたえずたなびく峯にだに住めば住みぬる世にこそありけれ〉(《古今集》巻十八)。また後世の伝説には,親王は近江小椋(おぐら)荘に所領を有し,その地に住んで人々にはじめて轆轤(ろくろ)の術を教えた。これによって小椋は木地屋発祥の地となり,親王はその祖としてまつられるに至ったともいう。
執筆者:今井 源衛
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(村井康彦)
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文徳(もんとく)天皇第1皇子。母は正四位下右兵衛督(うひょうえのかみ)紀名虎(きのなとら)の女(むすめ)静子。天皇は惟喬親王を皇太子にしようとしたが、皇后藤原明子(あきらけいこ)に惟仁(これひと)親王が生まれたので、外戚(がいせき)藤原良房(よしふさ)をはばかり、惟仁親王(後の清和(せいわ)天皇)が皇太子にたてられた(850)。857年(天安1)14歳で元服し四品(しほん)を授けられ、大宰帥(だざいのそち)、弾正尹(だんじょうのかみ)などを歴任した。872年(貞観14)病により出家、比叡山麓(ひえいさんろく)の小野に幽居した。詩歌にも長じ、在原業平(ありわらのなりひら)らとも親交があったことが『伊勢(いせ)物語』などにみえる。
[森田 悌]
…翌年相模権守を兼ね,のち美濃権守を兼ねたが,879年に蔵人頭を兼任,その翌年56歳で没した。紀名虎の子有常の女を妻とし,名虎の女が生んだ文徳天皇の皇子惟喬親王と親しかった。業平が生きた時代は藤原氏繁栄の基礎が築かれた時代で,良房の活動によって紀氏などの有力氏族が退けられていった。…
…この地の君ヶ畑(きみがはた),蛭谷(ひるたに),箕川(みのかわ),政所(まんどころ),九居瀬(くいぜ),黄和田(きわだ)の6集落は,小椋谷六ヶ畑とも呼ばれた。中でも君ヶ畑,蛭谷2村には,双方に惟喬(これたか)親王の墳墓と伝えられるものや,親王を祭神とした神社(旧称,太皇(おおきみ)大明神,筒井八幡宮)とその別当寺(金竜寺,帰雲庵)が存在する。それは惟喬親王が当地に流寓してろくろを発明したことをいう,木地屋の職の本縁譚を記した縁起を伝えたからである。…
…平安京の烏丸小路の西,冷泉小路の北にあり,1町の広さをもった。もと文徳天皇皇子の惟喬(これたか)親王の邸があり,彼が小野親王と呼ばれたところから小野宮の名がついた。その後,摂関藤原実頼の領するところとなり,このため実頼の系統を小野宮家と称し,九条家(流)と対比された。…
…近江(滋賀県)小椋(おぐら)谷の轆轤師集団を率いた大岩氏で,はやく都の四府駕輿丁座(しふのかよちようざ)に上番し白川神祇伯家から大工職口銭を徴収される関係にあったらしい。彼らは大陸渡来の秦氏の末裔として祭祀していた八幡神信仰に,中世時宗の聖が唱導した小野神信仰を習合し,職祖惟喬(これたか)親王流寓伝説の縁起書をつくり,ついで2種の偽作綸旨を案出し,時の武家政権の免許状を調整した。それを背景に身分保証の印鑑,宗旨,通行手形を発給して全国的な座的統制を行った。…
… 山中に樹を切り轆轤(ろくろ)と呼ぶ特殊な工具を使って椀,盆などをつくる工人を木地屋という。木地屋は山を生活の舞台とするため山の神の信仰をもつが,一方でその職能の始祖としての小野宮惟喬(これたか)親王を崇拝した。惟喬親王は文徳天皇の第1皇子であったが,第4皇子の惟仁親王が立太子し後に9歳で清和天皇となった。…
※「惟喬親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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