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惟喬親王 これたかしんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

惟喬親王
これたかしんのう

[生]承和11(844).京都
[没]寛平9(897).2.20. 京都
文徳天皇の皇子。母は紀名虎の娘静子。初め,父天皇によって皇太子になる予定であったが,母が紀氏の出であったことと,嘉祥3 (850) 年に右大臣藤原良房の娘明子に惟仁親王 (のちの清和天皇) が生れたためならず,天安2 (858) 年大宰帥,その後弾正尹,常陸太守,貞観 14 (872) 年上野太守を歴任したのち,病を得て出家。比叡山麓小野に幽居したので小野宮ともいう。法名を素覚という。詩歌に長じ,在原業平らと親交があった。貞観 10 (868) 年母紀氏のために『法華経』1部,『普賢観経』1巻を書写,その冥福を祈った。その願文は『菅家文草』に収められている。京都市左京区大原大字大原小字亀甲谷 (きおんだに) に墓がある。

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デジタル大辞泉の解説

これたか‐しんのう〔‐シンワウ〕【惟喬親王】

[844~897]文徳天皇の第1皇子。母は紀静子父帝に愛されたが、母が藤原氏でないために皇嗣になれず、大宰帥(だざいのそち)・弾正尹(だんじょうのかみ)・上野大守などを歴任。のち、比叡山のふもとの小野に隠棲した。小野宮。水無瀬宮(みなせぐう)。

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百科事典マイペディアの解説

惟喬親王【これたかしんのう】

文徳(もんとく)天皇の第一皇子。惟高とも記し,小野宮(おののみや)ともいう。母の出自などのため皇太子になれず,大宰帥(だざいのそち)などを歴任した後,出家して比叡山麓の小野に幽居した。
→関連項目河原巻物紀貫之遍昭文徳天皇

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

惟喬親王 これたかしんのう

844-897 平安時代前期,文徳(もんとく)天皇の第1皇子。
承和(じょうわ)11年生まれ。母は紀静子。藤原明子に惟仁(これひと)親王(清和天皇)が生まれたため,皇太子となれなかった。大宰帥(だざいのそち),弾正尹(だんじょうのいん),常陸(ひたち)太守,上野(こうずけ)太守などを歴任。貞観(じょうがん)14年出家,比叡(ひえい)山麓の小野にひきこもった。在原業平(ありわらの-なりひら)と交流があった。木地師の祖とされる。寛平(かんぴょう)9年2月20日死去。54歳。法名は素覚。通称は小野宮。
【格言など】桜花ちらばちらなむちらずとてふるさと人のきても見なくに(「古今和歌集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

惟喬親王

没年:寛平9.2.20(897.3.26)
生年:承和11(844)
平安中期の皇族。文徳天皇の第1皇子で母は紀名虎の娘静子。嘉祥3(850)年,右大臣藤原良房の娘明子との間に第4皇子惟仁親王が生まれると,良房に気兼ねした文徳天皇(母も良房の妹)は,その年即位して間もなく惟仁を皇太子とした(のちの清和天皇)。この立太子に際し,良房と名虎がそれぞれ真言僧真雅と真済とに修法を行わせたとも,ふたりが相撲をとって決着をつけたともいうが,伝説の域を出ない。天安2(858)年大宰帥,貞観5(863)年弾正尹,翌年常陸太守となる。同14年2月,弾正尹はもとのままで上野太守に任じられたが,7月,病のため出家し,素覚と号して洛北小野(京都市左京区)に隠棲した。河内国交野郡牧野村(枚方市)にあった別業 渚の院へ紀有常や在原業平らを同道し,歌宴を催したのは,出家以前のことであろう。この渚の院は紀貫之も土佐国(高知県)からの帰路歌に詠み,親王や業平をしのんでいる(『土佐日記』)。小野の里にたずねてきた業平と往事を回想し,その心境を詠んだ歌,「白雲の絶えずたなびく嶺だにも住めば住みぬる(澄むにかける)世にこそありけれ」には諦念もうかがわれる(『伊勢物語』)。親王はこの地にあること二十数年,54歳の生涯を終えている。いまこの地には中世の五輪塔がある。ところが中世に降り,親王は生前この地より近江国神崎郡(滋賀県永源寺町)の山中に移り住み,杣人らに木地を営むよう命じたので,木地師の祖神として仰がれるようになったという伝承を生んだ。非農業民の世界に生まれた,天皇や親王など貴種を祖神とする伝承のひとつで,偽文書も数多くつくられた。洛北をはじめ各地に親王にまつわる伝承や遺跡,墓塔がある。<参考文献>柳田国男『史料としての伝説』

(村井康彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

これたかしんのう【惟喬親王】

844‐897(承和11‐寛平9)
惟高とも書き,小野宮ともいう。文徳天皇の第1皇子。母は紀名虎(きのなとら)の娘,静子。857年(天安1)元服,四品となる。上野太守,弾正尹など歴任したが,872年(貞観14)病のため比叡山麓の小野の地に隠棲した。法名素覚。若年で隠棲した原因として,異母弟の惟仁(これひと)親王(後の清和天皇,母は藤原良房の娘明子)との立太子争いに敗北したためとする説が古来からあり,《江談抄》《平家物語》などでは,紀氏は惟喬を立てて真済僧正を,藤原氏は惟仁を擁して真雅僧正をそれぞれ祈禱僧に起用,死力を尽くしたと伝える。

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大辞林 第三版の解説

これたかしんのう【惟喬親王】

844~897) 文徳天皇の第一皇子。母は紀氏で静子。藤原良房を外祖父とする第四皇子惟仁親王(のちの清和天皇)の出生で皇太子につけず、大宰帥だざいのそつ・弾正尹だんじようのいんなどを歴任後、比叡山の山麓小野に隠棲した。世に小野宮・水無瀬宮みなせのみやと呼ぶ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

惟喬親王
これたかしんのう
(844―897)

文徳(もんとく)天皇第1皇子。母は正四位下右兵衛督(うひょうえのかみ)紀名虎(きのなとら)の女(むすめ)静子。天皇は惟喬親王を皇太子にしようとしたが、皇后藤原明子(あきらけいこ)に惟仁(これひと)親王が生まれたので、外戚(がいせき)藤原良房(よしふさ)をはばかり、惟仁親王(後の清和(せいわ)天皇)が皇太子にたてられた(850)。857年(天安1)14歳で元服し四品(しほん)を授けられ、大宰帥(だざいのそち)、弾正尹(だんじょうのかみ)などを歴任した。872年(貞観14)病により出家、比叡山麓(ひえいさんろく)の小野に幽居した。詩歌にも長じ、在原業平(ありわらのなりひら)らとも親交があったことが『伊勢(いせ)物語』などにみえる。[森田 悌]

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世界大百科事典内の惟喬親王の言及

【在原業平】より

…翌年相模権守を兼ね,のち美濃権守を兼ねたが,879年に蔵人頭を兼任,その翌年56歳で没した。紀名虎の子有常の女を妻とし,名虎の女が生んだ文徳天皇の皇子惟喬親王と親しかった。業平が生きた時代は藤原氏繁栄の基礎が築かれた時代で,良房の活動によって紀氏などの有力氏族が退けられていった。…

【小椋】より

…この地の君ヶ畑(きみがはた),蛭谷(ひるたに),箕川(みのかわ),政所(まんどころ),九居瀬(くいぜ),黄和田(きわだ)の6集落は,小椋谷六ヶ畑とも呼ばれた。中でも君ヶ畑,蛭谷2村には,双方に惟喬(これたか)親王の墳墓と伝えられるものや,親王を祭神とした神社(旧称,太皇(おおきみ)大明神,筒井八幡宮)とその別当寺(金竜寺,帰雲庵)が存在する。それは惟喬親王が当地に流寓してろくろを発明したことをいう,木地屋の職の本縁譚を記した縁起を伝えたからである。…

【小野宮】より

…平安京の烏丸小路の西,冷泉小路の北にあり,1町の広さをもった。もと文徳天皇皇子の惟喬(これたか)親王の邸があり,彼が小野親王と呼ばれたところから小野宮の名がついた。その後,摂関藤原実頼の領するところとなり,このため実頼の系統を小野宮家と称し,九条家(流)と対比された。…

【木地屋】より

…近江(滋賀県)小椋(おぐら)谷の轆轤師集団を率いた大岩氏で,はやく都の四府駕輿丁座(しふのかよちようざ)に上番し白川神祇伯家から大工職口銭を徴収される関係にあったらしい。彼らは大陸渡来の秦氏の末裔として祭祀していた八幡神信仰に,中世時宗の聖が唱導した小野神信仰を習合し,職祖惟喬(これたか)親王流寓伝説の縁起書をつくり,ついで2種の偽作綸旨を案出し,時の武家政権の免許状を調整した。それを背景に身分保証の印鑑,宗旨,通行手形を発給して全国的な座的統制を行った。…

【職業神】より

… 山中に樹を切り轆轤(ろくろ)と呼ぶ特殊な工具を使って椀,盆などをつくる工人を木地屋という。木地屋は山を生活の舞台とするため山の神の信仰をもつが,一方でその職能の始祖としての小野宮惟喬(これたか)親王を崇拝した。惟喬親王は文徳天皇の第1皇子であったが,第4皇子の惟仁親王が立太子し後に9歳で清和天皇となった。…

※「惟喬親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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