…このような黄老思想は,漢の武帝による儒教一尊体制の確立とともにすがたをけすが,その後〈黄老〉はひろく道家的哲理をさすことばとして用いられたほか,黄帝書は医学のなかに継承され,また後漢代には〈黄老君〉とよばれる神仙的な神格が生まれた。陳王劉寵(りゆうちよう)は〈黄老君を祭って長生の福を求め〉,また桓帝は宮中に〈黄老・浮屠(ふと)の祠を立てた〉という。浮屠とは仏のことであって,このように〈黄老君〉は仏教信仰とも習合した神格であった。…
…迦葉摩騰(かしようまとう)が白馬に経典を積んで来って初めて漢に仏典をもたらし,外客接待施設の鴻臚寺に入り,後に仏寺を建立して白馬寺と呼ばれたという説話がある。仏陀をまつるところを指す浮屠祠(ふとし)の名は後漢代から,学舎の意の精舎も魏・晋代(3世紀)から用いられた。南北朝(5~6世紀)ころから浮屠は仏塔のみを指すようになり,寺院全体はsaṃghārāma,āraṇyaの音を移した僧伽藍(そうぎやらん)(僧伽藍摩ともいう),阿蘭若などとも呼ばれ,また伽藍,蘭若などと略称されることが多くなった。…
…バウハウス時代のミース・ファン・デル・ローエによる鉄とガラスの摩天楼プロジェクト(1922)は,1950年代以後に現実のものとなり,明快な超高層建築を出現させた。教会堂建築【長尾 重武】
【中国】
中国に仏教が伝えられたのは漢代であるが,建築にインド系の新要素が導入されたことを示す最古の例証は,《三国志》に,後漢時代末に笮融(さくゆう)が徐州に建てたと見える浮屠(ふと)祠で,金色の仏像をまつり,九重の銅槃(どうばん)からなる相輪を掲げた楼閣であった。浮屠(または浮図)は仏陀の転訛で,のちにはもっぱらストゥーパstūpaを音写した率都波の訛略である塔の名で呼ばれる建築類型を指す。…
…〈悟った者〉を意味するサンスクリットのブッダbuddhaの音訳。浮図(ふと),浮屠(ふと)と音訳されたこともあり,仏(ぶつ)とも略称される。意訳は覚者。…
…浮屠,仏図とも書く。中国で仏教伝来から南北朝時代にかけて,仏陀または仏塔を呼ぶのに用いた言葉。…
※「浮屠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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