興行寺(読み)こうぎようじ

日本歴史地名大系 「興行寺」の解説

興行寺
こうぎようじ

[現在地名]上志比村藤巻

浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来開祖は本願寺五世綽如の三男玄真(周覚)。応永一三年(一四〇六)志比しひ荘内下郷大谷おおたに(現福井県永平寺町)一宇を建て、華蔵閣けぞうかくと称したのに始まる。同一八年に天台宗平泉へいせん(現同県勝山市)の勢力下にある志比上荘荒川あらかわに移って、真宗布教の一布石となり、志比の総坊ともよばれた。玄真には子女が多かったが、長男の永存石田西光いしださいこう(現同県鯖江市)の開祖となり、次男祐慶(蓮実)が当寺二代を継承、本願寺八世蓮如から興行寺の寺号を与えられ、連枝格一家衆寺院となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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