日本歴史地名大系 「吉田郡」の解説
吉田郡
よしだぐん
福井県の北部ほぼ中央部に位置する。
吉田郡の名は、「延喜式」「和名抄」などにはみえず、古代には足羽郡の一部であったと考えられる。鎌倉時代になって足羽郡より分置されたようで、「正法眼蔵」の奥書に「寛元々年癸卯七月三日丁未書写于越州吉田郡志比庄吉峯寺院主房懐弉」とみえる。しかしその後もこの郡名はあまり使われなかったのか、「太平記」にはみえず、郡域内に構営された足利方の諸城も「足羽七城」と記している。明徳元年(一三九〇)四月二日の銘をもつ
吉田郡
よしだぐん
- 茨城県:水戸市
- 吉田郡
中世の俗称郡名。この郡は律令制下の那珂郡から郡内の吉田郷を中心とする地域が、名神大社吉田神社の神郡として分立したもので、おおよその郡域は現在の水戸市域を中心に南は
「将門記」に「吉田郡蒜間之江辺、拘得掾貞盛・源扶妻」とあり、天慶三年(九四〇)平将門が平貞盛を討つため常陸へ発向、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報