舟付湊(読み)ふなつきみなと

日本歴史地名大系 「舟付湊」の解説

舟付湊
ふなつきみなと

[現在地名]養老町船附

牧田まきだ川と揖斐いび川の合流点西側にあった濃州三湊の一。中世末から近世にわたって栄えた。慶長一五年(一六一〇)高須藩主徳永寿昌から烏江からすえ村舟持中に宛てた問屋・舟・舟賃などについて記した条書(吹原文書)に舟付湊の名がみえる。三湊造船方留帳(同文書)によれば、寛文二年(一六六二)の船数は一七艘で、内訳は一三〇石積の一艘をはじめ七〇石積一〇艘、瀬取船三艘などであった。正保郷帳には湊役高五石とある。「濃州徇行記」では御役九・無役一・鵜飼船三・小船五とあり、湊役は金一両三分。文化八年(一八一一)の船数三〇艘に対し役銀五〇匁が課せられている(「船役銀廻状」吹原文書)。宝暦八年(一七五八)と推定される三湊船役申付証文(同文書)によれば、尾張犬山城米五〇〇石を船積みして木曾川を下り、名古屋堀川の広井ほりかわのひろい御蔵(現名古屋市中村区)まで運漕する役があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む