舟倉野用水
ふなくらのようすい
大沢野上位段丘の舟倉野台地を南北に走る用水路。直坂・横樋・大野・東中野・東大沢・南野田・二松・松林・舟倉新・万願寺新・小黒新など舟倉野用水の水受けの各村がある台地は、古来舟倉野とよばれ、用水開削以前は雑木・いばら・熊笹の生え茂った不毛の土地であった。礪波郡内島村(現高岡市)の五十嵐家八代目孫作(之義)は勧農の志が厚かったことから、舟倉野開墾に意欲をもち藩に上申していた。加賀藩は寛政八年(一七九六)孫作の計画を許可し、藩命による開墾が行われることとなり、孫作は工事施工の総責任者となり、地元の十村を務めていた新川郡天正寺村(現富山市)金山十兵衛が手助けすることになった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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