般若庄(読み)はんにやのしよう

日本歴史地名大系 「般若庄」の解説

般若庄
はんにやのしよう

現上野市山神(やがみ)・服部(はつとり)町・印代(いじろ)の境界地域にあったと比定。正治元年(一一九九)六月日の後鳥羽院庁下文案(太上法皇御受戒記後附)に、「阿閇郡印代・服部両郷内字重次名田畠荒野等、号般若庄」とある。下文案によれば、僧貞慶は笠置(かさぎ)山(現京都府)の南に般若台(はんにやだい)堂を建立、毎年二月南都興福寺より六人の碩学を招請して三日六座、講説問答の場とし、春期霊山会と称した。この会料費用として前少監物平式重が先祖相伝の重次名田を施入し、当庄の成立となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

1 多数の語を集録し、一定の順序に配列して一つの集合体として、個々の語の意味・用法、またはその示す内容について記したもの。語のほかに接辞や連語・諺なども収める。また、語の表記単位である文字、特に漢字を...

辞書の用語解説を読む