船蔵跡(読み)ふなぐらあと

日本歴史地名大系 「船蔵跡」の解説

船蔵跡
ふなぐらあと

[現在地名]熱田区熱田新田東組

藩の船蔵で、ほり川を挟んで白鳥しろとり町の西にあり、材木場が北にあった。藩の船を係留し、屋形をもって覆い、船奉行の下吏がこれを守った(尾張国愛知郡誌)例年、正月二日に「御舟乗初」があった。船は朝日丸を使い、松飾・御纏・吹貫などで飾った。辰の刻、堀川天王崎(現中区)の辺りで千賀氏が名代として乗船し、水主衆は裃を着して舟歌を歌うなど様々の式があった(金鱗九十九之塵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む