花の山城跡(読み)はなのやまじようあと

日本歴史地名大系 「花の山城跡」の解説

花の山城跡
はなのやまじようあと

[現在地名]豊野村上郷

上郷かみごうの南、高峯城たかみねじようという字名が示すように、標高二二九メートル余の所に築かれた山城。八代郡から娑婆神さばがみ峠を越えて益城郡山間部へと至る交通路を見下ろす地点にある。天正一一年(一五八三)島津氏によって構築され、築城時期から廃城までの過程を文献によって把握できる稀有の中世城跡である。

「覚兼日記」によれば、阿蘇氏を打倒し、肥後経略を進めんとする島津氏が、堅志田かたしだ(現中央町)を攻めあぐねた末に、付城として建設した。天正一一年一〇月二八日条に「早朝各打立、花之山囲執也、(中略)諸軍衆乗陣候、各盛を以普請也、(中略)此夜諸口外聞・外野伏・外廻等堅固ニ申調候也」とこの日に着工し、一一月一〇日までの一二日間を費やして完成した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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