豊野村
とよのむら
面積:三一・五七平方キロ
東は中央町、西は松橋町、南は小川町、北は城南町およびごく一部だが上益城郡甲佐町と接する。浜戸川とその支流が山岳丘陵に挟まれた平坦地を流れる。古代には益城郡の中心的文化圏のうちにあった。平安期の浄水寺跡などにその例をみる。中世になると、北東部は豊田庄、南西部は八代庄の飛地である小熊野郷と二分された。南北朝期や戦国期には、しばしば戦乱の舞台となった。
豊野村
とよのむら
[現在地名]作東町豊野
瀬戸村の南東、吉野川右岸に立地する。正保郷帳に村名がみえ、田一二一石・畑三一石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高三五石余・開高一〇石余、村位は中。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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