日本歴史地名大系 「花守村」の解説 花守村はなもりむら 静岡県:富士市旧吉原市・鷹岡町地区花守村[現在地名]富士市富士岡(ふじおか)比奈(ひな)村の南に位置する。寛永九年(一六三二)幕府領となる。寛永改高附帳に村名がみえ、田方九四石余・畑方五四石余。元禄郷帳では本花守村とみえ、高一四〇石余、「古は花守村」と注記される。国立史料館本元禄郷帳では幕府領。旧高旧領取調帳では旗本永田領一四〇石余。 花守村はなもりむら 福井県:福井市旧足羽郡地区花守村[現在地名]福井市花守町経(きよう)ヶ岳西北麓にある。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では三小野(みおの)村に含まれ、正保郷帳は当村を「華守村」と記し、元禄郷帳から花守村となる。慶長三年六月二九日の越前国足羽南郡華守村御検地帳(花守町有文書)によると、田方二三二石余・一三町三段、畠方一七石余・一町三段余、田畠荒一一六石余・七町二段余、屋敷一石余・八畝一五歩。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by