御前山(読み)ごぜんやま

日本歴史地名大系 「御前山」の解説

御前山
ごぜんやま

萩原町の東、小坂おさか町との境界をなす阿寺あでら山地にある。標高一六四六・四メートル。頂上から東の御嶽おんたけ山、西の白山をはじめ、北アルプス・中央アルプスの山々が見渡せる。しかし麓の人里から頂上はほとんど見えない隠れ山である。山岳信仰の山であり、頂上部には巨石群がみられ、小社が祀ってある。かつては御前観音があり、本尊十一面観音は高さ約一尺の鋳仏という(飛州志)。岐阜城の鬼門除けとして織田信長により勧請されたなどと伝える(益田郡誌)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「御前山」の意味・わかりやすい解説

御前山(旧村名)
ごぜんやま

茨城県中北部、東茨城郡にあった旧村名(御前山村(むら))。現在は常陸大宮市(ひたちおおみやし)の南西部を占める一地区。1955年(昭和30)伊勢畑(いせはた)、野口の2村が合併して成立。2004年(平成16)、山方町(やまがたまち)、美和村(みわむら)、緒川村(おがわむら)とともに大宮町に編入(大宮町は市制施行して常陸大宮市となる)。旧村域は、八溝(やみぞ)山地とこれを横断する那珂川(なかがわ)の谷をもつ。国道123号が通じる。伊勢畑には下野(しもつけ)薬師寺別当(べっとう)に左遷された道鏡(どうきょう)にまつわる伝説が残る。那珂川北岸の長倉、野口には旧河岸(かし)が多く、一部は昭和初期まで営業していた。野口に水戸藩の郷校(ごうこう)時雍館(じようかん)跡がある。木炭と和紙を産していたが、いまは畜産、施設園芸、シイタケなどの野菜栽培を行う。御前山県立自然公園に属し、青少年旅行村がある。

[櫻井明俊]

『『御前山村郷土誌』(1976・御前山村)』


御前山(山)
ごぜんやま

茨城県中北部、東茨城郡城里町(しろさとまち)にあり、常陸大宮市(ひたちおおみやし)との境に接する山。標高154メートル。古生代の硬い岩や粘板岩からなり、那珂川(なかがわ)の侵食を受けて断崖(だんがい)をつくる。水戸藩の御留(おとめ)山として樹木の伐採を禁じられたため、暖帯林やケヤキマツが繁茂し、小動物や鳥類も多い。那珂川対岸からの眺めは京都の嵐山(あらしやま)に似るので「常陸嵐山(ひたちらんざん)」といわれる。付近には青少年旅行村や御前山温泉保養センターもあり、紅葉、アユ釣りなどで知られ、御前山県立自然公園の中心をなす。山麓(さんろく)を国道123号が通じる。

[櫻井明俊]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御前山」の意味・わかりやすい解説

御前山
ごぜんやま

茨城県北西部,常陸大宮市南西部の旧村域。那珂川中流域に位置し,西は栃木県に接する。 1955年伊勢畑村と野口村が合体して御前山村が成立。 1956年長倉村と合体。 2004年山方町,美和村,緒川村とともに大宮町に編入され,名称変更および市制施行により常陸大宮市となった。景勝地御前山は新緑,紅葉の美で知られ,常陸嵐山とも呼ばれる。相川温泉があり,御前山県立自然公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「御前山」の意味・わかりやすい解説

御前山 (ごぜんやま)

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