苅松田城跡(読み)かりまたじようあと

日本歴史地名大系 「苅松田城跡」の解説

苅松田城跡
かりまたじようあと

[現在地名]飯野町飯野 館

当町南端東和とうわ町境に近い丘陵上に位置する平山城で、東側の通称針道はりみち街道は東安達の四本松しおのまつ(現岩代町)小手森おでもり(現東和町)に通じる要路であった。南高北低の自然地形を利用し、南端の主郭と東郭北端北郭とその中間の半内田はんないだたて地内に侍屋敷を配する。主郭は標高二五一メートル地点の本郭を中心に二の郭・三の郭などの郭を環郭式に配置し、三の郭東方に馬場跡といわれる東郭の段築がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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