日本大百科全書(ニッポニカ) 「東和」の意味・わかりやすい解説
東和(山口県)
とうわ
山口県南東部、大島郡(おおしまぐん)にあった旧町名(東和町(ちょう))。1955年(昭和30)油田(ゆだ)、和田、森野、白木(しらき)の4村が合併して町制施行。2004年(平成16)久賀(くか)町、大島町、橘(たちばな)町と合併、周防大島町(すおうおおしまちょう)となる。旧東和町域は、瀬戸内海に浮かぶ周防大島(大島または屋代(やしろ)島ともいう)東部の細長い半島地域を占め、国道437号が通じる。中世の島末庄(しまずえしょう)の地。内浦側の和田は近世には毛利水軍村上氏の給領地であった。屈曲の多い沈水海岸の湾頭に半農半漁村が散在し、大島ミカンの主産地である。情(なさけ)島や沖家室(おきかむろ)島は一本釣りの多い漁村で、沖家室島とは架橋されている。片添ヶ浜、逗子(ずし)ヶ浜などの海水浴場がある。
[三浦 肇]
東和(宮城県)
とうわ
宮城県北東部、登米郡(とめぐん)にあった旧町名(東和町(ちょう))。現在は登米市の北東部を占める地域。岩手県に接する。旧東和町は、1957年(昭和32)米谷(まいや)町と日高村が合併して成立。2005年(平成17)迫(はさま)、登米(とよま)、中田(なかだ)、豊里(とよさと)、米山(よねやま)、石越(いしこし)、南方(みなみかた)、津山(つやま)の8町と合併して市制施行し、登米市となった。地域は丘陵性の山地で占められ、西部を流れる北上(きたかみ)川とその支流二股(ふたまた)川流域に耕地が分布する。国道346号、398号、456号が通じる。東部の狼河原(おいのかわら)では近世初期から製鉄が行われ、製鉄法を伝えた千松兄弟の布教によりキリシタン信仰が広められたが、のち弾圧を受け、その遺跡が残されている。殉教の地として、1956年には米川カトリック教会(よねかわかとりっくきょうかい)が献堂された。米谷は北上川の河港として繁栄した。現在は農林業が主産業。西上沢(にしかみさわ)には仙台藩士でキリシタンの後藤寿庵(じゅあん)のものと伝えられる墓がある。鱒淵川(ますぶちがわ)のゲンジボタル発生地は国の天然記念物。「米川の水かぶり」は、2000年(平成12)に国の重要無形民俗文化財に指定、2018年には「来訪神:仮面・仮装の神々」を構成する行事の一つとしてユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録された。
[後藤雄二]
『『東和町史』(1987・東和町)』
東和(福島県)
とうわ
福島県中通り北部、安達郡(あだち)にあった旧町名(東和町(まち))。現在は二本松市の東部を占める地域。1955年(昭和30)針道(はりみち)、戸沢(とさわ)、木幡(こはた)、太田の4村が合併して東和村となり、1960年町制施行。2005年(平成17)安達(あだち)、岩代(いわしろ)の2町とともに二本松市に合併。国道349号が通じる。阿武隈(あぶくま)高地北西縁の丘陵地にあり、西部を阿武隈川が北流する。木幡山(666メートル)、羽山(はやま)(897メートル)、口太(くちぶと)山は山頂が斑糲(はんれい)岩からなる残丘である。近世は二本松藩領。中心地区の針道は川俣(かわまた)街道(相馬(そうま)街道)の宿駅で、生糸の集散地であり、馬市も開かれた。産業は野菜栽培や畜産を主とする。かつては養蚕が盛んであったが、減少傾向にあり、桑の葉を用いた健康食品の開発が行われている。木幡山を神域とする式内社の隠津島神社(おきつしまじんじゃ)の「木幡の大スギ」は国指定天然記念物で、三重塔は県指定重要文化財。12月の「木幡の幡祭り(こはたのはたまつり)」は源氏の東征にちなむといわれ、2004年には国の重要無形民俗文化財に指定された。
[安田初雄]
『『東和町史』全3巻(1980~1983・東和町)』
東和(岩手県)
とうわ
岩手県中央部、和賀郡(わがぐん)にあった旧町名(東和町(まち))。現在は花巻(はなまき)市の東南部を占める地域。1955年(昭和30)土沢(つちざわ)町と中内(なかない)、谷内(たにない)、小山田(おやまだ)の3村が合併して成立。2006年(平成18)花巻市に合併。旧町域は猿ヶ石川(さるがいしがわ)流域の町で、沿岸をJR釜石(かまいし)線、国道283号が走る。中心の土沢は、1612年(慶長17)盛岡藩が仙台藩との藩境防備として土沢城を築いた所。また三陸海岸と内陸部を結ぶ釜石街道の宿駅として栄えた。南東部の田瀬ダムによる開田が進み、また畜産も盛ん。ホームスパンや和紙を特産する。成島毘沙門堂(なるしまびしゃもんどう)の毘沙門天、吉祥天は平安初期の作とされ、国指定重要文化財。カズグリ自生地は国の天然記念物。
[川本忠平]