日本大百科全書(ニッポニカ) 「若きウィーン」の意味・わかりやすい解説
若きウィーン
わかきうぃーん
Jung-Wien
1890年代前半のウィーンにおいて用いられた文学的呼び名。元来は、当時相次いで頭角を現してきたホフマンスタール、シュニッツラー、ベーア・ホフマン、レオポルト・アンドリアンなど若い詩人・作家を称して批評家ヘルマン・バールが「若きオーストリア」と命名したのに始まる。フランスの象徴主義や悪魔主義、印象派の影響を受け、デカダンスと享楽主義の時代思潮に鋭敏に反応して、心理性の強い唯美主義的な作品を発表。ホフマンスタールの『ティツィアンの死』やシュニッツラーの『アナトール』などの問題作を生み出した。緩やかな共通性に基づく集団であって、やがて各人が独自の道を歩み出して解消した。
[池内 紀]