オーストリアの詩人、劇作家。2月1日、ウィーンに生まれる。16歳の高校生時代から優れた詩作を発表し、早熟の天才児として文壇を驚かせた。当時の作品として、生の世界の秘密に触れる数々の叙情詩と韻文劇『チチアンの死』(1892)、『痴人と死』(1893)、『皇帝と魔女』(1897)、小説『672夜の物語』(1895)などが知られる。1902年、28歳のとき、17世紀イギリスの文人チャンドス卿(きょう)がフランシス・ベーコンにあてた書簡という設定のエッセイ(いわゆる『チャンドス書簡』)を発表した。ことばに対する深い懐疑を披瀝(ひれき)する一方、ことばをもたぬ動物との生命の一体化の経験を語る不思議な文章で、20世紀文学のその後の歩みを暗示した魅力ある作品として知られる。
以後、彼の活動はもっぱら戯曲に向けられ、ソフォクレスの改作『エレクトラ』(1903)、『オイディプス王』(1905)、オトウェーの改作『救われたベニス』(1905)などを発表した。またイギリスの古い神秘劇による『イェーダーマン(人おのおの)』(1911)はいまでもザルツブルク音楽祭で毎夏上演される。また『エレクトラ』はリヒャルト・シュトラウスがオペラ化して成功し、これを縁にオペラのリブレット(台本)を書くようになった。2人の共同作業によって『ばらの騎士』(1911)、『ナクソス島のアリアドネ』(1912)など五つのオペラが生まれた。
散文では、1919年に寓話(ぐうわ)小説『影のない女』を完成している。またマリア・テレジアの治世にベネチアへの旅に出たウィーンの一青年の物語『アンドレアス』も書き進めていた。いずれも初期の『672夜の物語』につながる魔法的な空間を生み出すことに成功しているが、『アンドレアス』のほうは、多くのプランを残したまま未完に終わった。20世紀のドイツ語圏の小説が語られる際、全体の4分の1ほどが書き上げられているにすぎないこの小説の名がしばしば口にされるのは、その散文の比類ない美しさと、主人公のささやかな体験のかなたに予感される大いなる視野への期待ゆえであろう。
第一次世界大戦に際し、多額の財産を戦時公債に献じたため、敗戦とインフレにより戦後は経済的にも不如意の日々が続いた。その苦しさだけではなく、オーストリア帝国の崩壊は、この詩人の精神に大きな衝撃を与えた。ザルツブルク音楽祭の推進者となるなど、伝統を通じて秩序の回復を願う姿勢が強固になったが、その積極的な姿勢の背後に、後期の喜劇の傑作『気むずかしい男』(1921)や問題作『塔』(1927)にうかがわれる深いペシミズムがあり、それが晩年のホフマンスタールの精神の基調をなしていたといえよう。
1929年7月15日、自殺した長男の葬儀の直前、卒中に襲われ、ウィーン郊外の自宅で、喪服に身を固めたまま息を引き取った。
[松本道介]
『富士川英郎他訳『ホーフマンスタール選集』全4巻(1979~80・河出書房新社)』▽『川村二郎著『チャンドスの城』(1976・講談社)』▽『川村二郎編訳『ホフマンスタール詩集』(1994・小沢書店)』▽『川村二郎訳『チャンドス卿の手紙・アンドレアス』(講談社文芸文庫)』▽『ホフマンスタール台本、R・シュトラウス作曲、志田麓・寺本まり子訳『ナクソス島のアリアドネ』(1983・音楽之友社)』▽『R・シュトラウス、ホフマンスタール著、大野真監修、堀内美江訳『オペラ「薔薇の騎士」誕生の秘密――R・シュトラウス/ホフマンスタール往復書簡集』(1999・河出書房新社)』▽『檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫)』
オーストリアの詩人,劇作家。ユダヤ系の銀行家の父と,南ドイツの農民の血を引く母とのひとり息子として,ウィーンに生まれる。きわめて早熟な文学的才能で,高校生時代からロリスその他の匿名で発表した詩劇や詩は,その措辞の華麗かつ典雅な完成度によって,19世紀末のウィーン文壇を驚倒させた。そのみごとな成果は,個人の能力の結実というより,むしろ長く豊かなヨーロッパ文化の伝統が,少年の無垢な感受性のうちにとめどなく流れこみ,おのずから凝固したという印象を与える。すなわち創造力よりも受容力の並はずれた規模の大きさが,まず彼の文学の性格を決定している。しかし外からの流れを無差別に受け入れる能力がどれほど大きくとも,個人の容量は無限ではあり得ない。強すぎる外圧のために個人の内部が解体する危険はたえず存在する。解体へのいわば破滅志向的な期待と自己喪失の不安との複合した心の状態が,《体験》(1892)ほかの神秘的な詩や《第672夜の物語》(1895)ほかの謎めいた短編小説に反映している。そのような心の状態の最も先鋭化された形を有名な《チャンドス卿の手紙》(1902)が示しており,この疑似告白的な文章の後,それまでの夢幻的な詩劇とは異なった,舞台用の本格的な戯曲が次々に制作されることになる。それは一応,内部の夢の不安な緊張から,外界の現実に確かな足がかりをつくることによって,解放されようとする努力といえぬこともない。その試みの一つ《エレクトラ》(1903)が機縁で作曲家R.シュトラウスと交際が生じ,彼と協力して《ばらの騎士》(1911)を代表とする数々の音楽劇が完成されていく。音楽劇中の一編《影のない女》(1919)は小説の形でも書かれており,影のない妖精の王女が人間界の苦難を経て初めて影を手に入れるというその筋立ては,夢から現実への道を模索する作者の心の方向を,比喩的に表現している。またウィーン生れの若い貴族を主人公にした物語《アンドレアス》も,世間知らずの夢想家が苛烈な現実にしごかれて成長する過程を描こうとしているし,スペイン・バロックの劇作家カルデロンの《人生は夢》を下敷きにした悲劇《塔》(1925,27)でも,夢からの覚醒が主題となっている。しかし《アンドレアス》は結局未完に終わり(死後,1932年に刊行),《塔》は決定稿を得るために難渋をきわめた。現実のいかなる圧迫によっても抑えがたいほど強大な内部の夢の表現者という点に,この詩人の最大の魅力がある。
執筆者:川村 二郎
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…1877年から行われていた〈モーツァルト祭〉を前身として,1920年に発足。この年には,発起人の一人でもあった劇作家H.vonホフマンスタールの戯曲《イェダーマンJedermann》が上演されたのみであったが,翌年からモーツァルトの作品の音楽会を加え,しだいに今日のような音楽を主軸とした催しとして発展した。現行の内容は,オペラ公演,オーケストラ演奏会,モーツァルト・マチネ,歌曲の夕べ,独奏者演奏会(リサイタル),室内楽演奏会,セレナード,教会コンサート,演劇公演,バレエ公演等からなり,世界のトップ・クラスの出演者が顔をそろえる。…
…オーストリアのホフマンスタールが1902年に発表した,架空の書簡体散文。17世紀イギリスの文人貴族フィリップ・チャンドス卿が友人にあてて,文学活動を断念するにいたった経緯を書き綴るという体裁をとっている。…
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[政治性と多様化]
プロイセンによって強行された1871年のドイツ統一以後,この軍事的・政治的統一に欠落していた文化的内実を回復するために,ますます国民文学の意識の強化がはかられ,文学研究を通じて国粋主義の核がおかれたが,その反面,ゾラ,イプセン,ワイルド,トルストイなど多数の外国作家の受容が行われ,ドイツ文学は思想と表現の幅を急激に広げると同時に,内部に深刻な緊張を胚胎した。この間,自然主義はリアルな庶民生活の描出によってとくに現代演劇への端緒をひらき,ホフマンスタールたちの開拓した詩劇風の一幕物は,デカダンスの思想と芸術に表現の場をあたえ,ウェーデキントがフランスから移植した文学寄席(キャバレー)は,新しい大衆芸術の芽を育てた。この時期には一方で作家たちが芸術界のエリートという自覚をもち,一部では宗教にも代わるような高い精神の営みに従事する意識を抱くようになったが,他方では一般的な生活水準の向上と技術の進展によって,文学の大衆化がかつてないほど進んだ。…
…イギリス(系)の《エブリマンEveryman》《忍耐の城The Castle of Perseverance》,フランスの《酒宴の報いLa condamnation de banquet》などがよく知られた作品である。たとえばイギリス系(もともとオランダにあったものといわれる)の《エブリマン》はH.vonホフマンスタールの改作(1911)や,近代の復活上演でも知られているが,その内容は,不意に死神におそわれたエブリマン(人間一般の擬人化)があわてふためき,家族,友情,富などに身代りや援助をたのむが無駄で,最後には聖母マリアの取りなしでやせ細った善業と知恵と信仰にともなわれて死出の旅路につくといったものである。天使のコーラスと司祭の結辞と神への祈りで劇は終わる。…
※「ホフマンスタール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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