…このため1948年のジダーノフの死後も,〈批判〉の基本テーゼであった〈ソビエト的党派性〉の一面的強調はさらに強力に推進され,西欧跪拝(きはい)主義排撃,コスモポリタニズム非難,さらには反ユダヤ的風潮へまで道を開くことになった。党至上主義も貫徹され,48年にはファジェーエフの《若き親衛隊》が〈党の指導的役割を無視した〉と批判されて改作に追いこまれ,51年にはカターエフが〈共産党員を醜い顔の持主に描いた〉と非難されるまでになった。また〈人民を今日において示すだけでなく,その明日を見よ〉というジダーノフのテーゼは,社会主義リアリズム論の発展とみなされ,現実美化,さらには〈無葛藤理論〉の根拠となった。…
…44年,戦争は勝利に終わったが,〈悪い遺産〉といわれた〈スターリン主義〉とともに,とくに巨匠たちの間に形式主義的な政治主義あるいは芸術至上主義が生まれ,エイゼンシテインの《イワン雷帝》(1944)やプドフキンの《ナヒーモフ提督》(1946)はその〈偏向〉が批判されて改作させられた。こうして映画芸術家に課された自己批判によって新しい前進が始まり,戦争の傷跡の克服を描いたプイリエフI.A.Pyr’ev(1901‐68)監督の色彩音楽映画《シベリア物語》(1947),ゲラーシモフS.Gerasimov監督の《若き親衛隊》(1948)などがつくられた。
[〈雪どけ〉以後]
1953年のスターリンの死後における映画界の〈雪どけ〉現象は,チュフライG.N.Chukhrai(1921‐ )監督《女狙撃兵マリュートカ》(1956),《誓いの休暇》(1959),カラトーゾフM.K.Kalatozov(1903‐73)監督《戦争と貞操》(1957),《送られなかった手紙》(1960)などに代表され,主題と形式の分裂や図式化が指摘されたりもしたが,国際的に高く評価された。…
※「若き親衛隊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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