生産管理闘争(読み)せいさんかんりとうそう

改訂新版 世界大百科事典 「生産管理闘争」の意味・わかりやすい解説

生産管理闘争 (せいさんかんりとうそう)

第2次大戦直後(1945-46)の日本における争議行為の主要形態。労働者が使用者の指揮命令を拒否して,自主的に生産を管理する。労働者による運輸部門や事務部門等の自主的管理の場合には〈業務管理〉ともいわれた。この〈生産管理闘争は,自然発生的に展開されたものといわれているが,その淵源をたどるとすれば,第1次大戦後のイタリアにおける工場占拠運動(1920)およびコミンテルン決議(1920年7月),プロフィンテルン行動綱領(1921年7月)にまで至る。それらは二重の内容を含んでいた。一つは,経済危機→資本家の生産サボタージュ・工場閉鎖→大量失業の発生→雇用確保のための生産管理・工場占拠→金融機関・原料生産部門・運輸通信部門への労働者管理の拡大と製品・利潤の労働者による統制→資本家階級による武装弾圧→工場占拠防衛のための労働者の武装→階級決戦・武装蜂起による国家権力奪取,という筋である。そしてもう一つは,工場委員会結成→1工場1組合による単一産業別組合の強化,という筋である。前者の筋においては,〈生産管理〉は社会革命遂行のてことして評価されるのに対して,後者においては,〈生産管理〉は,労働争議において要求を実現し単一産業別組合を結成強化していくための争議戦術の一つとして評価されるにとどまる。第2次大戦後の日本においても,〈生産管理〉を単なる争議戦術と考えるか,あるいはそれ以上の意義をもつものと考えるかについては,労働者政党内部において意見の相違がみられた。(1)まず徳田球一(《赤旗》1945年11月7日)は,〈労働者による産業管理〉について,〈死に瀕する困窮から脱する〉ために,〈資本家の(生産)サボを克服する〉ために,不可避な方法であると主張する。(2)これに対して袴田里見(《赤旗》同前)は,横断的産業別組合結成への過渡的組織としての〈工場委員会〉が追求すべき〈任務〉は,〈工場管理に参加〉することにあるとし,〈工場管理を行ふ〉ことは〈一時的〉なもので〈常道ではない〉とした。すなわち,生産管理闘争は,〈馘首反対〉〈賃下げ反対〉〈工場管理に参加〉を要求するための争議手段として位置づけられていたのである。このように,労働者による生産の管理を単なる争議戦術と考えるか,それ以上の社会革命のてこと考えるかは,労働運動史上繰り返し問題とされてきたところであって,1960年代末から70年代にかけてのヨーロッパにおけるワーク・イン争議,日本における〈自主生産〉争議の場合においても,また同様であった。

〈生産管理〉争議の現実の展開過程にはほぼ三つの段階がある。(1)第1段階(1945年10~12月)の〈生産管理〉闘争は,読売新聞社の第1次争議(1945年10~12月。読売争議)である。正力松太郎社長の戦争責任を追及したこの読売新聞の〈生産管理〉は,さしあたり争議戦術として採用されたものではあったが,〈闘争委員会〉による新聞〈編集権〉の確保,労務管理機構の掌握,労働時間の自主的管理等は,資本家的経営秩序を実態的に掘り崩すものであった。(2)第2段階(1945年12月~46年2月)の〈生産管理〉争議は,京成電鉄(1945年12月),東京芝浦電気,日本鋼管鶴見製鉄所(ともに1946年1月),三菱美唄炭鉱(1946年2月)等の諸争議である。これらは労働組合の承認と賃金・労働時間等の労働条件に関する経済的要求を基本とするものである。そしてここではまた,〈生産管理〉闘争の現体制内での合法性(政治的にも経済制度上も)が強調されてもいた。(3)第3段階(1946年3~8月)の〈生産管理〉闘争は,高萩炭鉱(1946年4~6月),東洋合成新潟工場(1946年3~8月)等において展開された。この第3段階の〈生産管理〉闘争は,工場閉鎖反対,雇用,人事問題,労働者の経営参加等の要求をかかげ,単に一企業の争議戦術にとどまることなく,〈生産管理〉闘争が社会的広がりを示しはじめた点で特徴的である。

 このようにして,生産管理中の労働者は,第1段階から第3段階へと資本制的秩序との対決の度を深めていった。(a)経営権の新聞社における特殊形態としての編集権の掌握,資本の職場法典としての就業規則を無視しての労務管理機構の掌握と労働時間の自主的管理,(b)売上代金の管理(〈運賃管理〉),労働者による一方的賃金引上げ決定と運賃収入からの支払決定,〈大衆交渉〉と〈人民裁判〉,(c)労働者による一方的採用・解雇,生産品目と機械設備の変更,生産管理中の他工場との間での製品販売,資金調達,農民・炭鉱労働者との物々交換による原料・製品市場確保,監督官庁への大衆的圧力による〈生産管理〉労働者への炭代支払の実現等々である。これらは,既存の資本主義的秩序を掘り崩すものにほかならず,また産業再建の素材的連関の模索でもあった。そして,その行く手に描き出される経済機構は,〈傾斜生産方式〉と〈経済復興会議〉の場合における資本主義的経済機構とはまさに対照的なものでなければならなかった。これに対して日本政府は1946年2月1日〈四相声明〉を発し,〈生産管理〉を違法労働争議として処断しようとしたが,GHQの不介入と労働者の抗議の前に撤回せざるをえなかった。〈社会秩序保持声明〉(1946年6月13日)によって〈生産管理〉を禁止しえたのは,GHQによる〈大衆示威禁止〉(1946年5月20日)以後のことに属する。そして,1950年11月,最高裁判所判例(山田鉱業上告事件)は,〈生産管理〉闘争を,〈私有財産制度を基幹〉とする〈わが国現行の法律秩序〉と根本的に対立するもので,〈企業経営の権能を権利者の意思を排除して非権利者が行う〉〈私有財産の基幹を揺るがすような争議手段〉と断じたのであった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「生産管理闘争」の意味・わかりやすい解説

生産管理闘争
せいさんかんりとうそう

労働者が使用者の指揮・監督を拒否し、工場施設・資材などを把握して生産を管理し、経営を続行する争議戦術。業務の内容によって業務管理闘争ともいう。1917年のロシア二月革命時における労働者の工場と生産の統制、第一次世界大戦後のイタリア、フランスなどの工場占拠による生産の続行などがその起源である。20年7月の共産主義インターナショナル(コミンテルン)第2回大会や、21年7月の赤色労働組合インターナショナル(プロフィンテルン)第1回大会でも有用な闘争方法として採択された。

 第二次大戦後の日本では、急激に進行するインフレで物価が騰貴したが、資本家は生産サボタージュを行って資材を隠匿し、その値上りによって利得を図ろうとしたので、労働者は単なるストライキでは大量解雇や工場閉鎖に対抗したり、物価に見合う賃金引上げを得て生活を防衛することができず、一般市民の生活必需物資に対する欲求を背景に、主として産別会議(全日本産業別労働組合会議)の指導により生産管理闘争が行われた。1945年(昭和20)10~12月の第一次読売新聞争議で採用された業務管理闘争が勝利を得た結果、同年12月には京成電鉄労働組合によって無賃輸送闘争・経営管理闘争として引き継がれ、同じく勝利し、翌46年2月の三菱美唄(みつびしびばい)炭鉱争議、同年2~4月の東宝争議をはじめ各産業、各地域に広がり、同年5~6月にはストライキをしのぐ数に上った。

 日本共産党、産別会議は、労働者の生産管理闘争と農民の自主供出闘争、市民の食糧管理闘争とを結合し、人民協議会に発展させて、人民の権力を確立するという指導方針をとった。しかし、資本の所有権に触れる生産管理闘争は、経営者の強い反撃を受けた。政府も1946年2月の内務・司法・商工・厚生の「四相声明」、同年6月の社会秩序保持に関する政府声明などで、生産管理闘争を違法・不当な行為として、争議に伴う暴行・脅迫などとともに取り締まることを明らかにした。その後、生産管理闘争にはしだいに所有権の侵害、業務執行の妨害などの理由で弾圧が加えられ、設備・資材の差押え、代金の不払いなどの妨害も行われるようになった。このため、46年には170件を数えたこの争議戦術も、資本がようやく生産を通じて利潤を得ようとする方向に動き出したこととも重なって下火に転じ、47年には93件、48年には54件、49年には25件へと減少し、ストライキがこれにかわるようになった。

[松尾 洋]

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世界大百科事典(旧版)内の生産管理闘争の言及

【産業防衛闘争】より

…こうした方針の影響下の闘争としては,48年暮れから49年にかけての東芝労連の企業整備反対闘争が著名である。会社側が大量解雇と地方工場処分を企図したのに対し,労働組合は生産管理(生産管理闘争)や職場防衛戦術で闘った。しかし戦術は必ずしも効果的でなく,加えて下山・三鷹・松川事件が闘争の山場に発生した影響を受け,大量の自発的退職者を出し組合分裂も生じて,東芝労連組織は維持されつつも,闘争は組合側の敗北に終わった。…

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