日本歴史地名大系 「若久村」の解説 若久村わかひさむら 福岡県:福岡市南区若久村[現在地名]南区若久一―六丁目・柳河内(やなごうち)二丁目・皿山(さらやま)二丁目・若久団地(わかひさだんち)・筑紫丘(ちくしがおか)二丁目・中尾(なかお)一丁目・同三丁目・野間(のま)四丁目・南大橋(みなみおおはし)二丁目野間村の南の小丘陵地帯にある。東は三宅(みやけ)村・和田(わだ)村。東部を新川が北流する。応永一三年(一四〇六)六月一日、真正から対馬の国人柴山次郎に「若久」三町などが給分として宛行われた(「真正宛行状」馬廻御判物帳/長崎県史 史料編一)。小早川時代の指出前之帳では若久村の田八町四反余(分米一〇一石余)・畠三町余(分大豆一二石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高は二六五石余(慶長石高帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by