若江庄(読み)わかえのしよう

日本歴史地名大系 「若江庄」の解説

若江庄
わかえのしよう

平安時代の醍醐寺領「河内五箇庄」の一つで(八尾市の→志紀南庄・志紀北庄、市域若江地区にあった。朱雀院勅旨田であったが、のち醍醐寺に勅施入された。文治二年(一一八六)四月八日の醍醐寺文書目録(醍醐雑事記)に収める河内五ヵ庄関係文書のうち、天暦六年(九五二)二月一日の官符宣旨案が最初に記されるので、この頃朱雀上皇の落飾に先立ち同寺に施入されたものであろう。天延二年(九七四)に、醍醐寺領河内国諸庄の基本台帳となる「本図勅施入郡々坪付」一巻が作成され、また寛仁四年(一〇二〇)には志紀南しきみなみ渋川しぶかわ(現八尾市)と若江三ヵ庄の検田帳がつくられた(醍醐雑事記)。こうして成立した若江庄の庄田の規模は一五町八反五〇歩、それに課せられる所当官物は反別四斗、段米が反別一斗二升、ほかに直営田である佃が一町置かれていた。また多種多様の雑公事・夫役を負担しており、正月の餅一〇〇枚、修正会の菜若干、二月の酒番(毎日四升入の一瓶子を一〇日間納める)、牛の藁一〇〇束、修理料の縄一〇方、早米の小俵三俵、歳末の畳二帖、大湯屋用の潮水三六荷とその夫一〇人、五月の寺家守護兵士役などがみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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