日本歴史地名大系 「若狭郷屋村」の解説 若狭郷屋村わかさごうやむら 山形県:南陽市若狭郷屋村[現在地名]南陽市若狭郷屋吉野(よしの)川中流右岸に位置し、北は蒲生田(かもうだ)村。吉野川扇状地の湧泉帯で、旧河道にあるため地下約一メートルで砂利層となり、良水が得られる。字北河原(きたかわら)の若狭郷屋清水はどんな旱魃にもかれたことがないという(沖郷村史)。南の郡山(こおりやま)村の分村といわれ、蒲生氏高目録帳では郡山の村高に入っている。近世初期の邑鑑に若狭小屋村とあり、高三〇〇石余、免二ツ二分、家数一四(うち役家三・肝煎一)、人数四六。寛永八年分限帳によると、若狭村に給地のある家臣が一名いる。上杉領村目録によると高四三一石余、本免二ツ八分。反別は田二四町五反余・畑六町七反余、家数一八・人数八三、馬一六。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by