苦林村(読み)にがばやしむら

日本歴史地名大系 「苦林村」の解説

苦林村
にがばやしむら

[現在地名]毛呂山町苦林

川角かわかど村の北東越辺おつぺ川右岸の低地に立地。仁賀林とも書く。大類おおるい村から川角村飛地の玉林寺ぎよくりんじ村にかけては苦林野と称する原野が広がる。当地は相模国と上野国を結ぶ鎌倉街道上道が通る要衝の地であった。年月日未詳であるが、一四世紀前半と推定される源阿書状(金沢文庫禅門詩文集裏文書)に「にかハやしと申宿」とみえ、心月房賢恵のいる武蔵もろつか(現不詳)世良田せらた(現群馬県尾島町)からどのくらいの距離にあるのか、また苦林宿からは近いのかを称名しようみよう(現神奈川県横浜市金沢区)剣阿に尋ねているので、当時鎌倉街道の宿駅として著名であったようである。文和元年(一三五二)閏二月武蔵に進出してきた新田義興に対し、足利尊氏は平一揆・白旗一揆などを率いて同月二八日苦林で合戦し、義興軍を破っている(「源威集」東京大学史料編纂所影写本、「結城系図」林崎文庫蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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