白旗一揆(読み)シラハタイッキ

デジタル大辞泉 「白旗一揆」の意味・読み・例文・類語

しらはた‐いっき【白旗一揆】

室町時代、北武蔵上野こうずけ源氏の在地中小武士によって組織された武士団別府久下くげ高麗こま氏などで構成され、白旗を旗印としたのでこの名がある。

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精選版 日本国語大辞典 「白旗一揆」の意味・読み・例文・類語

しらはた‐いっき【白旗一揆】

南北朝・室町時代に組織された党的結合(一揆)の一つ。上野国群馬県)・武蔵国東京都埼玉・神奈川両県の一部)の在地領主らで結成され、四条畷合戦上杉氏の小山討伐などに加わった。戦場で白旗を旗印にしたのでこの名がある。
太平記(14C後)三一二陣には白旗(シラハタ)一揆二万余騎、白葦毛、白瓦毛」

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改訂新版 世界大百科事典 「白旗一揆」の意味・わかりやすい解説

白旗一揆 (しらはたいっき)

14世紀東国に起こった武士の一揆の一つ。武士の一揆は,鎌倉末期より惣領制の再編と中小武士団の地域的連合が進む中で,新たに各地に生まれた地方武士層の連合組織。本来は戦場での共同行為を約束したものであったが,しだいに平時にも共同体としてのまとまりをもつようになったもの。東国では南武蔵の平一揆,東上野の藤家一揆のほか,上野・北武蔵の源氏(別符,高麗氏など)によって結成されたこの白旗一揆がとくに知られ,その名称は彼らが戦場において白旗を掲げたことによる。《太平記》によれば,四条畷の戦(1348)で県下野守旗頭として5000余騎,武蔵小手指原の戦(1352)では2万余騎で,足利方として参戦している。戦乱の中でしだいに同族的性格を弱め,やがて国人の地域的連合組織たる上州一揆武州一揆の中に統合・再編成された。
国一揆
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「白旗一揆」の意味・わかりやすい解説

白旗一揆
しらはたいっき

南北朝・室町初期における東国の国人(こくじん)一揆。別府(べっぷ)、久下(くげ)、塩谷(しおや)、高麗(こま)、成田(なりた)氏らの上野国(こうずけのくに)の国人や、武蔵七党(むさししちとう)の系譜を引く諸氏もその構成員であったろうと推定されている。一揆の結合原理は同族を中心とした族縁的な形態であり、鎌倉時代の党と本質的に同一のものであった。同様な一揆としては南武蔵(みなみむさし)の平(へい)一揆、上野の藤氏(とうし)一揆などが知られている。14世紀末~15世紀初頭にかけて東国の国人は族的結合の色彩を弱め、地域的連帯を求めるようになり、武州(ぶしゅう)一揆、上州(じょうしゅう)一揆というような国単位の一揆に変化していった。

[伊藤喜良]

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百科事典マイペディア 「白旗一揆」の意味・わかりやすい解説

白旗一揆【しらはたいっき】

南北朝〜室町時代の上野・武蔵の国人一揆。構成員は武蔵七党の児玉党などの系譜を引く。観応の擾乱における武蔵野合戦では足利直義方の上杉憲顕の軍勢に加わった。15世紀には上州一揆・武州一揆などに再編成された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「白旗一揆」の解説

白旗一揆
しらはたいっき

南北朝・室町時代に活躍した北武蔵・上野の国人(こくじん)たちの一揆。この時代武士たちは,互いに戦功の証人になりあう,「見つぎ見つがれる」関係を確保するために,族縁や地縁を手がかりに一揆を結成して戦場に赴く例が多かった。このような組織は,しだいに平時でも共同体としてのまとまりをもつに至る。白旗一揆もそのような一揆の一つで,白旗・白馬を統一の象徴に用いたことに由来する。1348年(貞和4・正平3)の四条畷(しじょうなわて)の戦や52年(文和元・正平7)武蔵小手指原(こてさしがはら)の戦での活躍は「太平記」にもみえる。室町時代には上州一揆・武州一揆に再編成され,武蔵国守護上杉氏の配下となった。

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