14世紀東国に起こった武士の一揆の一つ。武士の一揆は,鎌倉末期より惣領制の再編と中小武士団の地域的連合が進む中で,新たに各地に生まれた地方武士層の連合組織。本来は戦場での共同行為を約束したものであったが,しだいに平時にも共同体としてのまとまりをもつようになったもの。東国では南武蔵の平一揆,東上野の藤家一揆のほか,上野・北武蔵の源氏(別符,高麗氏など)によって結成されたこの白旗一揆がとくに知られ,その名称は彼らが戦場において白旗を掲げたことによる。《太平記》によれば,四条畷の戦(1348)で県下野守を旗頭として5000余騎,武蔵小手指原の戦(1352)では2万余騎で,足利方として参戦している。戦乱の中でしだいに同族的性格を弱め,やがて国人の地域的連合組織たる上州一揆,武州一揆の中に統合・再編成された。
→国一揆
執筆者:飯田 悠紀子
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南北朝・室町初期における東国の国人(こくじん)一揆。別府(べっぷ)、久下(くげ)、塩谷(しおや)、高麗(こま)、成田(なりた)氏らの上野国(こうずけのくに)の国人や、武蔵七党(むさししちとう)の系譜を引く諸氏もその構成員であったろうと推定されている。一揆の結合原理は同族を中心とした族縁的な形態であり、鎌倉時代の党と本質的に同一のものであった。同様な一揆としては南武蔵(みなみむさし)の平(へい)一揆、上野の藤氏(とうし)一揆などが知られている。14世紀末~15世紀初頭にかけて東国の国人は族的結合の色彩を弱め、地域的連帯を求めるようになり、武州(ぶしゅう)一揆、上州(じょうしゅう)一揆というような国単位の一揆に変化していった。
[伊藤喜良]
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南北朝・室町時代に活躍した北武蔵・上野の国人(こくじん)たちの一揆。この時代武士たちは,互いに戦功の証人になりあう,「見つぎ見つがれる」関係を確保するために,族縁や地縁を手がかりに一揆を結成して戦場に赴く例が多かった。このような組織は,しだいに平時でも共同体としてのまとまりをもつに至る。白旗一揆もそのような一揆の一つで,白旗・白馬を統一の象徴に用いたことに由来する。1348年(貞和4・正平3)の四条畷(しじょうなわて)の戦や52年(文和元・正平7)武蔵小手指原(こてさしがはら)の戦での活躍は「太平記」にもみえる。室町時代には上州一揆・武州一揆に再編成され,武蔵国守護上杉氏の配下となった。
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