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芳賀禅可 はが ぜんか

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

芳賀禅可 はが-ぜんか

?-1372 南北朝時代の武将。
下野(しもつけ)(栃木県)飛山城主。宇都宮氏綱の重臣。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)では氏綱とともに足利尊氏方につく。乱後,子の高家,養子の高貞(たかさだ)は上野(こうずけ)・越後(えちご)守護になった氏綱の守護代をつとめた。菩提寺の海潮寺(栃木県真岡(もおか)市)に画像がのこされている。応安5=文中元年死去。一説に82歳。名は高名(たかな)。号は松林院殿。

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世界大百科事典 第2版の解説

はがぜんか【芳賀禅可】

南北朝時代の下野の武将。生没年不詳。実名は高名(たかな)。清原高澄が芳賀氏の初代。芳賀氏は奥州征伐,承久の乱に功をたて,また閑院殿の造営に関係するなど勢力を伸ばす。その14代目の家督を継いだのが禅可。観応の擾乱(じようらん)に主家の宇都宮氏綱とともに足利尊氏方として活躍。一説によれば1372年(文中1∥応安5)82歳で没という。禅可の子高家・高貞は越後守護氏綱の守護代。室町期の作といわれる禅可の肖像画が,菩提寺である真岡市の海潮寺に所蔵されている。

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世界大百科事典内の芳賀禅可の言及

【芳賀氏】より

…芳賀次郎大夫高親は,1189年(文治5)宇都宮朝綱に従って奥州征伐に出陣し,源頼朝よりその功を賞せられた。南北朝の内乱では,宇都宮公綱が南朝に仕えたのに対し,芳賀禅可は公綱の子氏綱を擁して足利尊氏に属して奮戦。その功により氏綱は越後・上野守護に任じられ,禅可は子高貞・高家を守護代として越後に遣わした。…

※「芳賀禅可」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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