苦辛城跡(読み)くららじようあと

日本歴史地名大系 「苦辛城跡」の解説

苦辛城跡
くららじようあと

[現在地名]鹿児島市皇徳寺台一―二丁目

永田ながた川右岸、山之田やまのだ川が合流する北側の標高一三四メートルを最高地点とするシラスの丘とその周囲を主とした山城跡。倉良・蔵良之城・鞍良之城とも書かれ、うち城ともいう。谷山たにやま郡地頭山田氏の屋敷に始まるといわれ、南北朝期には山田氏の本城であった。応永一八年(一四一一)山田久興が市成いちなり(現輝北町)に所領を与えられ(同年一一月一八日「島津久豊宛行状」山田文書)本拠を移すと、当城は守護島津氏の支配下となった。守護の重臣でかねて谷山郡に所領をもっていた平田氏は(永享一一年二月一八日「島津持久袖判証状」旧記雑録)、永正年中(一五〇四―二一)守護勝久から一族の備中守宗秀が当地を与えられたという(島津国史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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