茂福城跡(読み)もちぶくじようあと

日本歴史地名大系 「茂福城跡」の解説

茂福城跡
もちぶくじようあと

[現在地名]四日市市茂福

朝明あさけ川と海蔵かいぞう川の間の平地にあり、東は海。城跡は旧状をとどめないが、主郭の一部と推定される土壇が残る。朝倉氏一族の城の一つ。朝倉氏は室町幕府奉公衆に属し、醍醐寺文書年欠伊勢国内十ケ所人数注文にもみえる有力国人。保々西ほぼにし城・市場いちば城・中野なかの城も朝倉氏一族が拠ったと伝える(伊勢名勝志、三国地志)。文明七年(一四七五)二月吉日朝倉勘解由左衛門尉貞義は神宮に対し、三河国神戸地頭職の代官請文を出しているが、その署名注記に「朝倉茂福殿状」とある(文明年中宮司引付)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む