日本歴史地名大系 「茂福城跡」の解説 茂福城跡もちぶくじようあと 三重県:四日市市北部地区茂福村茂福城跡[現在地名]四日市市茂福朝明(あさけ)川と海蔵(かいぞう)川の間の平地にあり、東は海。城跡は旧状をとどめないが、主郭の一部と推定される土壇が残る。朝倉氏一族の城の一つ。朝倉氏は室町幕府奉公衆に属し、醍醐寺文書年欠伊勢国内十ケ所人数注文にもみえる有力国人。保々西(ほぼにし)城・市場(いちば)城・中野(なかの)城も朝倉氏一族が拠ったと伝える(伊勢名勝志、三国地志)。文明七年(一四七五)二月吉日朝倉勘解由左衛門尉貞義は神宮に対し、三河国神戸地頭職の代官請文を出しているが、その署名の注記に「朝倉茂福殿状」とある(文明年中宮司引付)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by