范陽(読み)はんよう(その他表記)Fan-yang

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「范陽」の意味・わかりやすい解説

范陽
はんよう
Fan-yang

中国,漢,三国時代の県名,郡名および唐時代の藩鎮。現在の河北省たく県。史上に名高いのは,藩鎮の一つとして幽州 (現在の北京) を中心に存在した范陽藩鎮である。この藩鎮は開元1 (713) 年に設置され,五代の天福1 (936) 年,いわゆる燕雲十六州の一部として契丹 (きったん) に割譲されるまで2世紀あまり,近くの成徳,天雄の2藩鎮とともに河北三鎮と呼ばれて,唐朝に対し終始自立的態度をとり続けた。安禄山史思明もここを拠点安史の乱を起した。

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世界大百科事典(旧版)内の范陽の言及

【涿】より

…古くから燕国の要地として知られ,漢代には涿県をおいて涿郡の中心とした。のち郡名を范陽と改めて隋代に至った。ちなみに隋の涿郡は今日の北京を中心とした地域である。…

※「范陽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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