日本歴史地名大系 「茅渟道」の解説 茅渟道ちぬのみち 大阪府:南河内郡茅渟道大和から河内国南部を東西に通り茅渟(のちの和泉国)に至る古代の道で、大和飛鳥地方北部から横大路を西進し、竹内(たけのうち)峠を越えて現太子(たいし)町に入り、石川を渡って現富田林(とんだばやし)市喜志(きし)から羽曳野(はびきの)丘陵を横断し、現美原町平尾(ひらお)へ出て同町黒山(くろやま)を通過し、現堺市関茶屋(せきちやや)付近を経て現和泉市府中(ふちゆう)へ至るルートが有力視されている。飛鳥から奈良盆地を通り、金剛山と葛城山の間にある現千早赤阪(ちはやあかさか)村の水越(みずこし)峠を越えて石川の平野部に出、羽曳野丘陵を越えて和泉市に至るルートとする説もある。「日本書紀」大化五年(六四九)三月二四日条に「天皇、乃ち軍を興して、大臣の宅を囲まむとす。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by