平尾遺跡(読み)ひらおいせき

日本歴史地名大系 「平尾遺跡」の解説

平尾遺跡
ひらおいせき

[現在地名]美原町平尾

東除ひがしよけ川西岸の標高五〇―五五メートルの中位段丘上にある古墳時代―奈良時代にわたる遺跡。府立美原高校建設に伴う分布調査で当該地に金堂山こんどうやまと称する土盛りが残されていることや、須恵器土師器散布が認められ新たに遺跡として知られた。昭和四八年(一九七三)試掘調査を経て全面にわたる範囲確認調査が実施され、六〇棟にのぼる掘立柱建物跡、溝・柵列・井戸・土壙など多数の遺構、七―八世紀代にわたる須恵器・土師器などの遺物検出した。

平尾遺跡
ひらおいせき

[現在地名]稲城市平尾

鶴見つるみ川左岸の小支流に囲まれた標高七六―八七メートルの多摩丘陵上に位置する。都住宅供給公社の平尾住宅建設により昭和四二年(一九六七)から同四三年に調査され、縄文時代の住居跡七軒、古墳時代から奈良時代の住居跡六軒が出土し、ほかに横穴墓三基、十三塚などが調査された。十三塚の西側に隣接して入定塚があり、昭和三四年の調査で板碑九基、古銭などが出土した。

平尾遺跡
ひらおいせき

[現在地名]多治見市平井町

多治見沖積地を東に望む舌状台地の東端に位置し、東を大原おおはら川が南流する。昭和四四年(一九六九)の発掘調査以前からナイフ形石器・石核・尖頭器・フレイク等の先土器時代遺物と縄文時代に属する打製石鏃・打製石斧・石錐等の石器が採集されていた。発掘調査では弥生時代の竪穴住居跡二基を検出。一号住居跡は一辺六・四メートルの隅丸方形を呈し、中央やや西寄りに地床炉がつくられていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報