茅渟(読み)チヌ

デジタル大辞泉 「茅渟」の意味・読み・例文・類語

ちぬ【茅渟】[地名]

和泉いずみ国の沿岸の古称。現在の大阪湾の東部、堺市から岸和田市を経て泉南郡に至る一帯。

ちぬ【××渟/海鯽】

クロダイの別名。ちぬだい。 夏》

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精選版 日本国語大辞典 「茅渟」の意味・読み・例文・類語

ちぬ【茅渟】

  1. 大阪湾の東部、和泉国(大阪府南部)の沿岸の古称。現在の堺市から岸和田市を経て泉南郡までの一帯にあたる。千沼・血沼・血渟・珍努などとも表記された。→茅渟の海
    1. [初出の実例]「五月の丙寅朔癸酉の日、軍(みいくさ)茅渟(ちぬ)の山城水門に至る。〈亦の名山の井の水門。茅渟。此を智怒(チヌ)と云〉」(出典:日本書紀(720)神武即位前)

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日本歴史地名大系 「茅渟」の解説

茅渟
ちぬ

和泉地方の古名。血沼・血渟・珍努・珍・千沼などとも書かれる。律令制下の和泉国和泉郡とその周辺部をも含んだ地域名であるが、正確な範囲は不明。同地域に面する海をチヌの海と称した。「古事記」神武天皇段に、神武天皇の東征時、兄の五瀬命が矢傷をうけた手を洗ったことから「血沼海」と称したとの説話がある。なお「日本書紀」神武天皇即位前紀戊午年条には、矢傷をうけた五瀬命が「茅渟山城水門」で雄誥おたけびをしたと記す。同書欽明天皇一四年条には「泉郡茅渟海中」から梵音と光を発する樟木を溝辺直が採り、この霊木から仏像二体をつくったとある。「万葉集」にはこの海を歌った歌が収められている。

<資料は省略されています>

チヌの海を広く大阪湾と解する説もあるが、前述の和泉郡を中心とした地域に面する海とみるべきであろう。現在の高石たかいし市付近の海が、「日本書紀」持統天皇三年(六八九)八月条に「高脚海たかしのうみ」と称されていたことがこれを裏付ける。チヌ池については「古事記」垂仁天皇段に印色入日子命に命じて「血沼池・狭山池・日下之高津池」をつくらせたとあり、「日本書紀」垂仁天皇三五年条には五十瓊敷命を河内国に遣わして「高石池・茅渟池」をつくらせたとある。

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百科事典マイペディア 「茅渟」の意味・わかりやすい解説

茅渟【ちぬ】

大阪府和泉(いずみ)地方の古名。血沼・血渟・珍努・珍・千沼などとも書かれる。律令制下の和泉国和泉郡とその周辺部をも含んだ地域名であるが,正確な範囲は不明。同地域に面する海をチヌの海と称した。《古事記》神武段に,神武東征の時,兄の五瀬命(いつせのみこと)が矢傷をうけた手を洗ったことから〈血沼海〉と称したとの説話があり,《万葉集》にはこの海を詠んだ歌がある。《日本書紀》允恭8年・9年・10年・11年条には,允恭天皇が寵妃の衣通姫(そとおりひめ)のために〈茅渟宮〉をつくり,しばしば行幸して日根野(ひねの)で遊猟した記事がある。この茅渟宮と深い関係にあったと考えられるものにチヌの県(あがた)・チヌの県主(あがたぬし)があり,《日本書紀》崇神7年条,雄略14年条などにみえる。

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動植物名よみかた辞典 普及版 「茅渟」の解説

茅渟 (チヌ)

動物。タイ科の海水魚。クロダイの別称

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