羽曳野丘陵(読み)はびきのきゆうりよう

日本歴史地名大系 「羽曳野丘陵」の解説

羽曳野丘陵
はびきのきゆうりよう

大阪府南東部の南河内地方に位置する丘陵。大和川に合流する石川の左岸に、南から北へ約一〇キロ、東西幅約四キロにわたって紡錘形状に延びる。藤井寺市、羽曳野市、南河内郡美原みはら町・狭山さやま町、富田林とんだばやし市にまたがる。地形的には金剛山地和泉山脈前面に展開する河泉丘陵の一部で、高度は南部が約一六〇メートルと高く、南から北へ向かって緩やかに傾斜する。丘陵の分水界は東にかたより、西斜面が緩傾斜、東斜面が急傾斜を示しているので、丘陵を浸食する開析谷のほとんどは北西方向に延びて東除ひがしよけ川に流入するのに対して、東斜面の谷は短小である。これらの谷には数多くの溜池が造成されている。丘陵を構成するのは第三紀鮮新世から第四紀洪積世に形成された大阪層群で、海成粘土層と火山灰層の互層からなり、層厚は一八〇―二〇〇メートルと推定されている。また地質構造は丘陵の東側を南北方向に延びる非対称の背斜構造をなし、これに沿って幾つかの断層がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の羽曳野丘陵の言及

【土師氏】より

…大王墓の墳丘上に樹立される埴輪が大量であり,また運搬上の困難さを考慮すると,埴輪作りに適したハニのある場所の近くに土師氏が居住し,大王墓が設けられたと考えられる。応神天皇陵古墳を盟主とする古市古墳群が羽曳野丘陵の近傍に所在するのも,理由のあることであった。なぜなら,仁賢天皇の埴生坂本陵,来目皇子の河内埴生山岡上の墓,履中即位前紀に見える埴生(はにゆう)坂の表記からすると,現在の羽曳野丘陵は古代には埴生山と呼ばれており,埴生とはハニの豊富にある場所の意だからである。…

※「羽曳野丘陵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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