茎永村(読み)くきながむら

日本歴史地名大系 「茎永村」の解説

茎永村
くきながむら

[現在地名]南種子町茎永

中之(なかの)村の東に位置する。北西は当村の枝村であった上里(かみざと)村、北は平山(ひらやま)村で、東は海(太平洋)に面した。村域は東西一里二〇町三〇間・南北二里一三間。上里村から流れ出し馬渡(まわた)り川(宮瀬川)に合流する川があり、この川には大きな橋が三ヵ所に架けられていた。仮屋元の中辺(なかべ)(中部、宇津浦ともいう)のほか藤田(ふじた)・松原(まつばら)・竹崎(たけざき)浦・竹之(たけの)とふ・雨田(あまだ)・可惜経(あたらきよう)・形板(かたいた)などの里があった(種子島記)。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳では高五〇五石余、元禄二年(一六八九)の「懐中島記」では高一千一一二石余、男女五八七、うち給人一二五、牛馬一三六。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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