荏原町村(読み)えばらまちむら

日本歴史地名大系 「荏原町村」の解説

荏原町村
えばらまちむら

[現在地名]松山市恵原町えばらまち

松山平野の南平坦部に位置する農村。東は東方ひがしがた村、西は上野うえの村・西野にしの村、南は浄瑠璃寺じようるりじ村、北は村に接する。古くは会原と書いたが、近世には荏原の文字を使用した。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)浮穴うけな郡の項に「荏原町村 日損所、野山有、小川有」とある。明治期以後は恵原町と書く。

古代には浮穴郡荏原郷(和名抄)に属したと考えられる。中世には河野氏の統治下にあり、松山平野南部の一拠点として会原城が構築されていた。建武二年(一三三五)の末から翌年二月にかけて、宮方の忽那氏が武家方河野通盛の与党の拠った会原城を攻略したことは、忽那一族軍忠次第(忽那家文書)のなかに「一 会原城、自建武二年十二月廿九日至(三)年二月」と記されているので明らかである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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