ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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京都府木津川(きづがわ)市加茂町西小(かもちょうにしお)にある真言律宗の寺。小田原山(おだわらさん)法雲院と号し、通称九品寺(くほんじ)、九体寺(くたいじ)ともいう。本尊は九体阿弥陀如来(あみだにょらい)。創建については諸説あるがさだかでない。『浄瑠璃寺流記事』によると、1047年(永承2)當麻寺(たいまでら)の僧義明(ぎめい)が堂宇を建立したと伝える。現在、三重塔内に安置されている薬師(やくし)如来像は、九体阿弥陀如来像より60年前に造顕されたこの寺の初めの本尊である。1107年(嘉承2)には新本堂として九体阿弥陀堂が建立された。1150年(久安6)には興福寺一乗院門跡(もんぜき)伊豆僧正(そうじょう)恵信(えしん)によって池が掘られ、庭園がつくられて、現在の寺観の基礎ができあがった。1178年(治承2)鐘楼が完成。同年京都一条大宮(京都市上京区)から三重塔が移築された。平安後期から鎌倉時代へかけて諸堂が造営され、各種法会(ほうえ)が行われている。興福寺との関係も深く顕密の道場として発展した。1343年(興国4・康永2)火災によって諸堂焼失したが、さいわい、本堂(九体阿弥陀堂)と三重塔(いずれも国宝)は火難を免れ、平安時代に流行した阿弥陀浄土信仰の形式を残している。寺宝は多く、木造阿弥陀如来坐像(ざぞう)9体、木造四天王立像4体は国宝に、薬師如来坐像、地蔵菩薩(ぼさつ)立像、延命地蔵菩薩立像、不動明王および二童子立像、吉祥天(きちじょうてん)立像、馬頭観音(かんのん)立像、三重塔初重壁画、石灯籠(いしどうろう)2基は国重要文化財に指定され、庭園は史跡・特別名勝。
[野村全宏]
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…一方,九体阿弥陀堂は藤原道長建立の法成(ほうじよう)寺(1020)が古い例で,京都を中心に各地に建てられた。現存するのは浄瑠璃寺本堂(1107)のみである。これらの阿弥陀堂に共通する特色は,苑池を伴うものが多いこと,内部装飾が華麗で壁画や彩色文様などを各部に施していることであり,阿弥陀浄土を眼前することが目的であった。…
※「浄瑠璃寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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