古くは
とあり、永承二年(一〇四七)に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都府木津川市の旧加茂町にある真言律宗の寺。小田原山法雲院と号す。本尊阿弥陀如来像。本堂に9体の阿弥陀如来を安置するので,九品(くほん)寺とも,九体(くたい)寺ともいう。境内は広潤で幽邃の景勝地で,大門を入ると眼前に阿字池が広がる。この阿字池を挟んで三重塔と本堂の阿弥陀堂が東西に相対し,平安後期の貴族社会に盛行した阿弥陀浄土信仰の描く理想境をいまにしのばせている。739年(天平11)聖武天皇の勅願を奉じた行基の開創とか,天元年間(978-983)多田満仲の創建ともいうが,いま一つ確かでない。下って1047年(永承2)ごろ,当麻(たいま)寺の義明を本願,阿知山大夫重頼を檀那として,堂宇が一応整備されたと考えられる。ついで1150年(久安6),関白藤原忠通の子の興福寺一乗院の恵信がさらに寺観をととのえ,また78年(治承2)高倉天皇の勅で洛中から三重塔を移建,一乗院支配下の顕密道場として平安・鎌倉期を推移した。南北朝期に入って,宮廷貴族の没落とともに,往時の寺運は傾き,寺伝によると1343年(興国4・康永2)ほぼ現有の建物を残して,講堂,十万堂,如法堂,開山堂,経蔵,楼閣などを焼失したといい,以後,ついに旧観に復さなかった。なお,当寺から岩船(がんせん)寺に至る道は,有名な当尾(とうのお)石仏群の一画を通り,古趣にあふれる。
執筆者:藤井 学
本堂(1107建,国宝)は間口11間,奥行4間の長大な建物で,屋根はゆるい勾配の寄棟造,組物は隅にのみ舟肘木を用いる簡素なつくり。内部は9間に2間の内陣に9間通しの仏壇を構え,ここにいわゆる定朝様の9体の木造阿弥陀如来座像(国宝)を一列に安置し,四隅に木造四天王立像(国宝)を配する。藤原時代に多く建立された〈九体阿弥陀堂〉のうち,建物と仏像がともに現存する唯一の遺構。1150年造営の池を挟んで本堂に対峙する三重塔(国宝)は,前述のように78年移建されたものだが,建立年代などの沿革は不明だが,様式上,平安時代後期に属する。勾配のゆるい垂木や檜皮葺き(ひわだぶき)の屋根で形づくられる軽快な意匠とともに,初重内部に描かれた十六羅漢像の壁画(重要文化財)も平安時代絵画史上の好資料。他に彫刻としては地蔵菩薩立像,馬頭観音立像,薬師如来座像,不動明王および二童子立像などがあり,とくに秘仏吉祥天立像は著名(いずれも重要文化財)。石灯籠2基も重要文化財。なお庭園は特別名勝。
→浄土教美術
執筆者:谷 直樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
京都府木津川(きづがわ)市加茂町西小(かもちょうにしお)にある真言律宗の寺。小田原山(おだわらさん)法雲院と号し、通称九品寺(くほんじ)、九体寺(くたいじ)ともいう。本尊は九体阿弥陀如来(あみだにょらい)。創建については諸説あるがさだかでない。『浄瑠璃寺流記事』によると、1047年(永承2)當麻寺(たいまでら)の僧義明(ぎめい)が堂宇を建立したと伝える。現在、三重塔内に安置されている薬師(やくし)如来像は、九体阿弥陀如来像より60年前に造顕されたこの寺の初めの本尊である。1107年(嘉承2)には新本堂として九体阿弥陀堂が建立された。1150年(久安6)には興福寺一乗院門跡(もんぜき)伊豆僧正(そうじょう)恵信(えしん)によって池が掘られ、庭園がつくられて、現在の寺観の基礎ができあがった。1178年(治承2)鐘楼が完成。同年京都一条大宮(京都市上京区)から三重塔が移築された。平安後期から鎌倉時代へかけて諸堂が造営され、各種法会(ほうえ)が行われている。興福寺との関係も深く顕密の道場として発展した。1343年(興国4・康永2)火災によって諸堂焼失したが、さいわい、本堂(九体阿弥陀堂)と三重塔(いずれも国宝)は火難を免れ、平安時代に流行した阿弥陀浄土信仰の形式を残している。寺宝は多く、木造阿弥陀如来坐像(ざぞう)9体、木造四天王立像4体は国宝に、薬師如来坐像、地蔵菩薩(ぼさつ)立像、延命地蔵菩薩立像、不動明王および二童子立像、吉祥天(きちじょうてん)立像、馬頭観音(かんのん)立像、三重塔初重壁画、石灯籠(いしどうろう)2基は国重要文化財に指定され、庭園は史跡・特別名勝。
[野村全宏]
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京都府木津川市にある真言律宗の寺。小田原山と号す。本堂に安置する9体の阿弥陀仏にちなみ,九品(くほん)寺・九体(くたい)寺ともいう。開創は未詳。11世紀半ば頃から伽藍の整備が進められ,現在の本堂は1107年(嘉承2)建立という。78年(治承2)には洛中から三重塔が移建された。興福寺のもとで栄えたが,のち衰退。本堂と三重塔は国宝,三重塔初塔壁画の十六羅漢図は重文。
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…一方,九体阿弥陀堂は藤原道長建立の法成(ほうじよう)寺(1020)が古い例で,京都を中心に各地に建てられた。現存するのは浄瑠璃寺本堂(1107)のみである。これらの阿弥陀堂に共通する特色は,苑池を伴うものが多いこと,内部装飾が華麗で壁画や彩色文様などを各部に施していることであり,阿弥陀浄土を眼前することが目的であった。…
※「浄瑠璃寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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