荒井泰治(読み)アライ タイジ

20世紀日本人名事典 「荒井泰治」の解説

荒井 泰治
アライ タイジ

明治・大正期の実業家 台湾商工銀行頭取;貴院議員(多額納税)。



生年
文久1年5月16日(1861年)

没年
昭和2(1927)年3月3日

出生地
陸奥国仙台(宮城県)

学歴〔年〕
宮城中卒,仏学塾卒

経歴
明治13年上京して中江兆民の塾に学ぶ。14年東京横浜毎日新聞社の編集部記者、ついで嚶鳴社に入り改進党本部書記長を務め、18年大阪新報社編集長に転じる。のち日本銀行総裁秘書を経て、23年鐘淵紡績支配人、27年東京商品取引所常務理事、30年富士紡績の支配人を歴任。33年サミュエル商会台北支店長として台湾に渡る。のち台湾商工銀行頭取に就任。台湾肥料社長などを務める。44年〜大正7年貴院議員(多額納税)。また仙台商業会議所特別議員を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒井泰治」の解説

荒井泰治 あらい-たいじ

1861-1927 明治-大正時代の実業家。
文久元年5月16日生まれ。中江兆民の塾にまなぶ。新聞記者,日本銀行総裁秘書をへて鐘淵(かねがふち)紡績,富士紡績の支配人をつとめる。のち台湾商工銀行頭取。明治44年貴族院議員。昭和2年3月3日死去。67歳。陸奥(むつ)仙台出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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