荒木寛友(読み)アラキ カンユウ

20世紀日本人名事典 「荒木寛友」の解説

荒木 寛友
アラキ カンユウ

明治・大正期の日本画家 華族女学校教授。



生年
嘉永2年12月(1850年)

没年
大正9(1920)年11月23日

出生地
江戸

本名
荒木 鐸

経歴
幼少より父に画を学び、のち山本琴谷に入門、南北合派を学ぶ。山水花鳥を得意とした。若くして秋月藩(現・福岡県)主黒田家に仕え、明治4年同藩の史生となる。6年正院に出仕、9年天皇奥羽巡幸に際し奥羽全図を調製。のち太政官、修史官などに出仕するが、10年辞して画業に専念。17年赤坂離宮謁見所天井張付、18年青山御所屏風、28年高輪御殿、29年華頂宮御殿襖・袋戸などを描き、また東宮や各宮の御前揮毫、御用画などを務めた。また14年第2回内国勧業博覧会以後、各種展覧会、共進会に出品。日本美術協会でも受賞を重ね、33年同協会第一部委員となる。31年華族女学校教師もつとめた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒木寛友」の解説

荒木寛友 あらき-かんゆう

1850*-1920 明治-大正時代の日本画家。
嘉永(かえい)2年12月生まれ。荒木寛一長男東京の人。父や山本琴谷(きんこく)にまなび,山水・花鳥画を得意とした。太政官などにつとめたのち,東宮や各宮家の御用画をえがく。明治31年華族女学校教授。大正9年11月23日死去。72歳。名は鐸。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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