20世紀日本人名事典 「荒木探令」の解説
荒木 探令
アラキ タンレイ
明治〜昭和期の日本画家
- 生年
- 安政4年1月10日(1857年)
- 没年
- 昭和6(1931)年1月9日
- 出生地
- 出羽国新庄(山形県)
- 本名
- 荒木 守純
- 別名
- 別名=狩野 探令(カノウ タンレイ),初名=荒木 丈太郎
- 経歴
- 東京で菊川淵斎、のち狩野探美に師事。江戸川製陶所の納富介次郎にテレビン油描法を学び、陶画も描いた。明治17年第2回内国絵画共進会に「琴棋書画」「雨中観音」で入選、日本美術協会委員を務め、31年日本画会の結成に評議員として参加、のち副主任幹事を務める。33年美術同志会専務委員となる。皇室の御用画を制作、40年東京勧業博覧会に「昭代嘉祥」で3等賞を受賞、文展開設に当たり旧派の正派同志会の結成に幹事として参加する。45年狩野忠信、岡倉秋水らと狩野会を結成し狩野派の復興に努め、大正5年狩野姓を名乗ることを許された。15年狩野家歴代絵画展の開催に尽力した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報