荒河荘(読み)あらかわのしょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「荒河荘」の意味・わかりやすい解説

荒河荘
あらかわのしょう

紀伊国那賀(なが)郡にあった荘園。安楽河、荒川とも書く。紀ノ川中流域の左岸に位置し、現在の和歌山県紀の川市の南東部にあたる。1129年(大治4)鳥羽院(とばいん)領となり、院の没後、その菩提(ぼだい)を弔うため1159年(平治1)美福門院(びふくもんいん)より高野山(こうやさん)に寄進され、以後中世を通じて高野山領として存続。近隣の在地領主と対抗してしだいに高野山の一円支配が確立したが、鎌倉後期の弘安(こうあん)・正応(しょうおう)年間(1278~1293)には悪党の活動が盛んで、高野山の支配は一時動揺した。1412年(応永19)から翌1413年にかけて、高野山は寺領再建を図るため全荘にわたる大検注(だいけんちゅう)を実施したが、その後も農民たちの年貢減免闘争などが展開された。

田代 脩]

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