日本歴史地名大系 「荷上場村」の解説
荷上場村
にあげばむら
「秋田風土記」に「古城在。往古額田何某居住といへり。時代とも不詳」とあり、菅江真澄の「しげき山本」には「荷上場の梅林寺のしりなる山に柵ありて、額田甲斐守といふ主すめり」とある。額田甲斐守は浅利氏重臣で、戦国末期に村は浅利氏の支配下にあった。
享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に「町館と云処より移る、今町館畠に成る」とあり村の移動が知られるが、その後、宝暦五年(一七五五)の洪水で村が流され(八七軒流失、一〇軒が破損)、新たに
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報