日本歴史地名大系 「荷頃村」の解説 荷頃村にごろむら 新潟県:栃尾市荷頃村[現在地名]栃尾市北荷頃(きたにごろ)本津川(ほんつがわ)村の南東、西谷(にしだに)川に矢津(やつ)川が合流する付近を中心に集落が広がる。北の西谷川下流は大野(おおの)村、南西矢津川上流は一之貝(いちのかい)村。栃尾町(とちおまち)村から大野村を経由する道は、当地で南は田之口(たのくち)村、西は比礼(ひれい)村へ通じる。文明年間(一四六九―八七)の長尾・飯沼氏等知行検地帳(上杉家文書)には本津川(程川)とともに「濁・程川」とみえ、長尾弾正左衛門尉の知行地。元和六年(一六二〇)の長岡藩知行目録では「荷比村」とあり、高一八一石五斗余。正保国絵図に高三六七石余。宝永二年(一七〇五)の栃尾組村郷田畑高命帳写(坂牧家文書)によると本途・外新田高三九六石八斗余。 荷頃村にごろむら 新潟県:小千谷市荷頃村[現在地名]小千谷市南荷頃(みなみにごろ)古志(こし)郡二十村(にじゆうむら)郷(現山古志村)のうちの最南部に位置する。元禄・天保の郷帳では当村と小栗山(こぐりやま)村を一括して東山(ひがしやま)村と記される。天正年間(一五七三―九二)には家数七七軒があったという(温古之栞)。慶長二年(一五九七)の上杉氏による検地帳写(平沢家文書)には「古志郡抜庄二比村」と記され、御料所のほかに吉江与橘・長尾平七・小越彦二郎・星野清六の給地があった。このときの中使(名主)は平左衛門。田畑屋敷の合計は六石二升余。名請人は五人で、うち屋敷持は三人。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報