日本歴史地名大系 「荻名村」の解説 荻名村おぎなむら 鳥取県:西伯郡会見町荻名村[現在地名]会見町荻名山根(やまね)村の東、越敷(こしき)山の西方、小松谷(こまつだに)川支流朝鍋(あさなべ)川中流右岸の山間部に位置する。古くは翁と記し(正保国絵図など)、元禄一五年(一七〇二)荻名と改めた(伯耆志)。拝領高は一〇六石余、本免は五ツ一歩。藪役銀一匁五分が課せられ(藩史)、米子組士柘植氏の給所であった(給人所付帳)。幕末の六郡郷村生高竈付では生高一三〇石余、竈数二七。「伯耆志」では家数二七・人数一一〇、林一四町一反余。享保九年(一七二四)地内大谷(おおたに)山の柴草秣場の入会をめぐって宮前(みやまえ)村など星川(ほしかわ)谷一〇ヵ村と、実久(さねひさ)村・大袋(おおぶくろ)村(現米子市)・寺内(てらうち)村など一一ヵ村とが山論を起こし、一一ヵ村のうち上安曇(かみあずま)村(現米子市)など五ヵ村が入会停止、寺内村など三ヵ村も一部入会停止の裁許となったが、当村はこの相論に加わっていなかった(在方諸事控)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by