日本大百科全書(ニッポニカ) 「荻野山中藩」の意味・わかりやすい解説
荻野山中藩
おぎのやまなかはん
江戸時代、相模(さがみ)国愛甲(あいこう)郡中荻野(なかおぎの)(神奈川県厚木市)に置かれた小田原藩の支藩。譜代(ふだい)。1706年(宝永3)小田原藩主大久保忠朝(ただとも)二男教寛(のりひろ)が西の丸若年寄に就任、駿河(するが)国で1万1000石を与えられ、駿東(すんとう)郡松永(静岡県沼津市)に陣屋を設立。1718年(享保3)相模国愛甲郡、大住(おおすみ)郡、高座(こうざ)郡で5000石を加増、中荻野に出張陣屋を置いた。1784年(天明4)5代教翅(のりよし)のとき中荻野陣屋を拡張改築して移り、以後、荻野山中藩と称した。1867年(慶応3)12月薩摩(さつま)藩浪士による同陣屋襲撃事件はよく知られている。
[神﨑彰利]
『『相模原市史 第2巻』(1967・相模原市)』